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地元を離れた自由人、ねっちょの話




noteに投稿するのは、これが初めて。

私が生きてきて心に残ること、忘れ難い思い出などを、これから気ままに、つらつら書いていこうと思う。




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ねっちょは、中学のときの同級生。2年のときに同じクラスだった。名字に「ね」が含まれていることから、このあだ名で親しまれていた。

私はねっちょと特別仲が良かったわけでもなく、必要があれば言葉を交わすぐらいの間柄でしかなかった。



ねっちょはどこにでもいる普通の、快活な男子だった。そういう顔の造りなんだと思うが、口角がピエロのように上がっており、いつもわりと機嫌が良さそうで、顔色全体が血色のいいピンク色だった(たぶんパーソナルカラーはSummer)。




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ねっちょと再開したのは30を過ぎてから、facebookでだった。他人の投稿の関連か何かから見ることができたのは、上向きな口角はそのままに、少し精悍さが足された彼の写真だった。



どうやら彼は、地元茨城を離れ、香川県のうどん屋で働いているらしい。私はなんとなく懐かしくなって、投稿にコメントをしてみた。



彼は元気で、長野の山小屋でシーズンだけ住み込みで働いていたこともあったそうで(リゾバと言うやつか)、「安定を犠牲にして、好きな事をやっている笑」とのことだった。



実はちょうどその頃、母との香川と徳島への旅行を控えていた。香川のうどんももちろん食したいと思っていたのだが、なんと私は、ねっちょからどこのうどん屋で働いているのかを聞き出し、旅行のついでに、彼に会いに行ったのである。



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そして降り立った四国。最寄の駅からタクシーで15分ほど、教えてもらった「山下うどん」は、車でしか行けない立地にあった。主要駅の周りだとか、もっとスムーズに寄れるうどん屋は、道中いくらでもあったのだが。



店はまぁまぁの大きさで、繁盛しているようだった。ゴールデンウィークだったこともあり、駐車場には車がたくさん停まっていた。



店に入ると、釜の湯気か人の活気か、とにかく賑やかな雰囲気だった。パートさんだろうか、店員のおばちゃんに○○くんいますか、と声を掛けると、ちょっと待ってくださいね!と明るく答えてくれたが、彼はすぐには出て来ず、先にうどんを食べることにした。



注文口でかけうどんを頼んだあと、天ぷらを一つ、味噌のかかったこんにゃくとカマボコのおでんを2つ、セルフ方式で選んだ(香川なので当たり前だが、丸亀うどんと同じシステムだ)。うどんはほどよいコシで、だしもあっさりなのに味わいがあって、とてもおいしかった。



彼は忙しいのか、私たちがうどんを食べ終わり、帰ろうとしたときにやっと出てきてくれた。ねっちょは私を見て「おーーー○○さん!」と言い、中学生の頃と同じ笑顔を見せ、自分の手をエプロンでササっと拭いてから、両手で私の手を包み込んで握手してくれた。小麦粉に覆われていて、ガサガサと固い手だった。



それから私たちの旅程について少し会話をして、店の前で2人で写真を撮り、それ以上連絡先を交換することもなく、私と母はねっちょと別れた。



◆◆◆



残った写真を見返すと、これは6年前の出来事だったのだが、その頃の私は、23の年に入社した会社にもう8年も勤めており、このままでいいのかとか、自分の生活や人生に疑問を抱いていた時期だった。



地元を離れ、やりたいことにチャレンジしている彼の生き方に興味が沸いて、わざわざ彼に会いにいったのかもしれない。



話はこれで終わりではない。私はその後、彼の新しいチャレンジを知ることとなる。



それは、その旅行から数か月…いやもしかしたら一年以上、経ってからのことだった(よく覚えていない)。扁桃腺が腫れてしまい、かかりつけの内科に行ったときだ。待合室で順番を待っていたが、時間がかかりそうなので、そばにあった雑誌を漁った。



コーヒーやカフェを特集している雑誌を手に取り、読んでみた。白い壁をバックに、白のボタンダウンシャツに浅いブラウンのエプロン、もじゃもじゃの髭面で、下を向いて微笑みながらコーヒーを淹れている男性。



そのピエロのような口元に見覚えがあった。もしかして…と思い文章を辿ると、ねっちょのフルネームがあった。ねっちょだったのだ。



本によると、カフェの場所は徳島。うどん屋は辞めて、バリスタをやっているのか。



インタビューで、コーヒーについてもっともらしく語るねっちょ。休日はラフティングをし、徳島の雄大な自然を満喫しているらしい。

そういえばうどん屋を訪れたときも、ラフティングとかやらないの?良いところたくさんあるのに!と言っていたような気が…ねっちょめ、きっとその頃からラフティングにはまっていて、より近くで楽しめるように、引っ越したんだな。さすが自由人。



こうして思わぬ形でねっちょのその後を知ることができたわけだが、だからと言って、私は特に彼に連絡を取ることもしなかった。



ただ、彼はきっと今も日本か世界のどこかで、人生を自分らしく、全力で生きているに違いない。



ねっちょ元気で。私の人生にほんの少し、楽しい思い出をありがとう。





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