陽ダイカンの笑顔は永久に不滅です!  巨人軍で打った100号ホームランに笑顔はなかったけれど。

9月17日、巨人対中日戦、東京ドーム。8回裏、陽くんが100号ホームランを打った。

というニュースをツイッターで見た。

試合は見ていなかったので、ファンが上げてくれる動画で様子を見ることができた。

1対4で劣勢の場面、代打出場、先頭バッターとして塁に出ようと必死なのが伝わってくる。2ボール2ストライクからドラゴンズ祖父江の高く浮いて入ってきた6球目を叩く。センターバックスクリーン横のカメラ席付近に届く、大きなホームラン。

陽くんらしい当たりだった。でも画面の中の顔はニコリともしていない。いつものホームベース上で天を仰ぎ、指を掲げるポーズはしていたけれど、ベンチでハイタッチしているときも笑っていなかった。

節目の100号ホームラン。いくら負けているとはいえ、こんな表情の陽くんは、少なくともファイターズ時代は見た事がなかったように思う。

「その笑顔がベンチにあるだけで指名した価値がある」

とまでスカウトに言わしめた、2005年、北海道日本ハムファイターズに陽仲寿の名でドラフト1位指名されたときから、いつも明るくチームを照らし続けていた陽くんの笑顔は、どこに行ってしまったんだろう。

2016年、日本シリーズ直後、なぜかしらFA移籍が確実視されていた陽ダイカンは「僕は初めから残りたいと思っていた」と発言した。

もちろん大ファンであるわたしは、泣いて喜んだ。

すぐに球団との交渉があり、「I 'm back」とロゴの入った黒いTシャツを着込んで臨んだ陽くんを見て、残るのは間違いないなと思ったけれど・・。

一週間後、彼が選んだのはFA宣言、移籍の道だった。

会見で涙をこらえ、必死で笑顔を作る陽くんの顔を見ながら、泣けてきた。

この移籍の過程について、陽くんが「来年の戦力のリストに入ってないのを見て」と発言したため、ファイターズは冷たい、貢献した選手にドライと非難されたが、まさか本当に戦力リストなどを見せられたわけではない。

ファイターズは限られた資金の中で、限られた戦力を最大限に生かして優勝可能なチーム構成を探るチームだ。

陽くんの年棒は、その時点で推定二億円を超えていたが(実際はもっと高かったと思う)この1年は、来年も契約するとしたら減俸は避けられない成績だった。

本人は、それでもファイターズに残りたかったのかもしれない。しかし、陽ダイカンという台湾の大スターを巡る事情は、陽くんとファイターズだけでどうこうできるものではないと、球団フロントの岩本さんがラジオで言っていた。

ファイターズでは、もうスター陽ダイカンを養える条件を与えることはできないが、 FAすれば、それにかなう条件を出すチームはある。

陽くんは、その狭間で1週間迷っていたのだと思う。

将来のため、家族のために決断した、と会見で述べたように。

一人の気持ちだけでは決められない何事かのためにFA宣言はなされ、ぎりぎりまで待ち続けた結果、最大のオファーを出した巨人へ移籍することになった。

台湾の英雄ー王貞治のいた読売巨人軍。

ファイターズ時代の派手な金髪、ファッション、「サンキューでーす」とおどけるヒーローインタビューの様子、などしか見ることがなかった野球ファンには、きっと知られてないだろうけれど。

陽くんは、ものすごく真面目で、周囲に気をつかい、偉大な先輩を純粋に尊敬する、素朴な青年だ。

わたしは、陽くんと話したこともないけれど(グラウンド見学やお見送りで大接近したことは、何度もありますけど!)12年もずーっと見つめていれば、それくらいのことはわかる。

いわば自由奔放に過ごせたファイターズから、巨大な組織である巨人軍に移籍することは、相当な勇気と決断が必要だっただろうし、わたしたちには想像できないくらいの緊張と圧力が、彼の肩には、かかっていたはずだ。

プレッシャーでやりすぎるのを心配してたら、案の定1年目の春のキャンプの前にパンクしてしまった。怪我は長引き、1年目の成績は、陽くん自身も周囲も納得できるものではなかったし、なによりも巨人軍はBクラスに終わったことが、さらに圧力になるよなあ…とさらに心配することになってしまった…。

今年は、なんとか春のキャンプもクリアーし、開幕スタメンでスタートできたが、好調に打ち始めた5月、デッドボールで手の甲を骨折…。

復帰してから7月に好調の時期もあるものの、だんだん打てなくなり、スタメンから外れることが目立つようになり、9月に入ってはほぼベンチスタートになってしまった。代打に出ない試合も多い。

そもそも陽くんは代打にはまったく向いてないのに。代打の神様は亀井さんじゃなかったんですか? と由伸監督に文句言ってみたりしても。今の巨人軍の戦力状況では亀井さんをスタメンにするのは、理解もできる。

こんな状況で陽くんに笑顔になれと言っても無理だし、陽くんの性格では、周りが暗い雰囲気なのに一人で明るくしたりもできないだろう。

FA移籍してきた選手の巨人軍での立場を想像すると、胸が痛くなる・・。(ツイッターでは、ゴミだのクズだのひどい言葉が飛び交っている)

一人の背中に、多くのものを負いながら、期待に応えることができない。もどかしさばかりが、垣間見る陽くんの姿から伝わってくる。それでも毎日試合はやってくる。毎日の準備は、きっと変わらずやっているに違いない。だからこの日もホームランを打ったように。

15歳で台湾から一人日本にやってきた。

少年、陽仲寿。

福岡第一高校で、毎日練習にまみれ、先輩の食事の支度や洗濯をしながら、夜中の1時2時まで日本語の勉強をし、国語のテストでは、日本人の生徒より好成績を取っていた。

抜群の身体能力で頭角を現し、夢の甲子園には出場できなかったが、プロ野球への道を切り開く。

ドラフト1位指名。王さんの勘違いでソフトバンクと思ったのに、日ハムだったから、悲しくて泣いたと報道された。

でも本人は、あの時は、日本語がまだ苦手で、うまく言えなかったけれど、泣いたのはホークスではなかったからではなくて、プロ野球選手になれることが嬉しかったから泣いたのですと、北海道に来てからのインタビューに答えていた。

憧れの日本で、憧れのプロ野球選手になりたかった。

そうやって日本で懸命に生きてきた。

100本のホームランを打ってきた。

球界の盟主と名乗る巨人軍で、プロ野球人生を全うすることを選んだ陽くんの道を。

わたしは、最後まで応援したい。

何度でもまた、あの明るい笑顔をみるために。

わたしたちの陽ダイカンの笑顔は、永久に不滅です!




























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