北海道最後の日ーだったかもしれない。全道停電、あの日の札幌で思っていたこと。


9月6日、未明の午前3時8分、北海道胆振地方で震度7を超える大地震が発生し、未曾有の全道全戸停電という大事故ー大災害が起こった。


3年前、このエントリーを上げた時点で電気はついておらず、パソコンに残った電源だけで書いていました。まだ被害状況を把握していなかったのか、わたしは、甚大な被害を受けた胆振地方、厚真町、地震で亡くなった方々への言葉を何も記していません。この内容だけを読むと停電の被害しかなかったかのように見えると思いますが、あくまでも自分の住んでいる場所、札幌市の一部の話です。被災された地域、亡くなられた方々、今も復興の道におられます。誠に遅ればせながら、鎮魂を祈り、お見舞い申し上げます。


家で寝ていて、ガラスの揺れる音で目が覚めた。
地震だ!と思ってすぐ起きたが、いつもと違ってドンドン揺れが大きくなり、ものすごい家鳴りがして、「ヤダーーーやめてーーー!!」と大声で叫んでいた。

その後、ラジオのニュースでは、2、30秒といっていたけれど、ものすごく長く感じた。この世の終わりかと思うくらい・・・。
揺れが止まって、真っ暗。

これまで地震で停電したことはなかった。
直前に通り過ぎていた巨大台風の強風でもしなかった。

揺れは大きかったが、建物や周りは何の被害もないようなのに、電気はすっかり止まってしまい。もちろん家のWifiも繋がらない。携帯電話だけは繋がっていたけれどスマホのない我が家には、ラジオしか情報手段はない。
野球中継を聴くときのために家には携帯ラジオは3個ある。電池もいっぱいある。備えあれば憂いなし。

辺りは、本当の真っ暗で、ラジオからは全道が停電していると盛んに発信されている。
地震は、苫小牧のほうでも大きかったといっているから、もしかしたら向こうの発電所が壊れたのかな?
でも一つの発電所が壊れたからって全部止まってしまうことってあるの?
などと疑問に思いながら・・余震もあるし、もう眠れなくなってしまった夜をこわごわと過ごした。

夜明け、明るくなった空は真夏のように青かった。
停電は変わらず、ラジオでは、直下で地震に襲われた胆振の厚真町付近の火力発電所が損壊し、緊急停電したところ電力の供給バランスが崩れ、他の火力発電所も順次緊急停止させられていった結果だと言っている。北海道の電源がすべて失われた状態。

・・・・・

そったらことがあるのか。そんなエネルギー管理の仕方があるのか?
ここが止まったら、ここが動く。それもダメならあっちが動く・・というようにリスク管理するのが、当たり前以前の前提じゃないのか?
電気だよ????

こんなんで泊原発も再稼働させようとしている北海道電力。
信頼はさらに失墜・・・。

などと文句を言い募っても、つかないものはつかない。北電のみなさんは必死の作業で電源を確保しようと奮闘しているのだろうし。待つしかない。

幸い我が家は、水は出るし、プロパンガスで火も全然オッケー。電気以外は生活に支障はない。

しかし、真冬でなくてよかったよ・・。これが冬だったら、大惨事になっただろう。北海道滅亡したかもしんないよ・・・いやまじで。

この日の木曜日は、カフェの厨房仕事のあと、若いお友達とランチの予定だった。楽しみにしてたのに当然中止。
次の日も街で友達に会う予定だったのに、これも中止。
カフェもレジのお店も停電で営業できず休業。

食料は、生協トドックが来たばかりで大丈夫だった。何もすることもなく、ぼけーっとしてたけれど、猫のフードが切れそうなので、コンビニは空いているかもしれないと、外にでてみた。

・・・・・・・びっくり。信号がついてないから車は少ないだろうと思っていたのに、ぶーぶー走っている。交差点は自転車と人と車でごった返しているところで、ここはさすが同調圧力と空気を読む力の日本人の集まりだ。みんながみんな互いの様子を見て、譲り合ったり先回りしたりして、事故も起こさず平常に通行している。(ちなみにうちの周りにはおまわりさんの交通規制は一切ありませんでした。)

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歩道では、普段の数倍の自転車が走り回り、仕事が休みになったお父さんとお母さんと子供が歩き、スーパーとHomacとツルハがある通りは、人で溢れていた。スーパーは店舗は開いていないが、入り口の前で水や食料を売っているようだった。
長蛇の列で最後尾は見えなかった。Homacも同じく。ツルハは「もう水や電池はありません」と「入店しても2時間くらいかかります」と女の人が店の前で説明していた。

空は青く、この場所では、建物や道路に被害はなにもない。人々もみな健康。でもこれは大災害なんだ。

黒沢清監督の『散歩する侵略者』を思い出した。
ほんとに映画みたいな、非日常的な風景。でもどこまでも日常。
ネジが外れた感覚にめまいがしそう。

比較的すいていたセブンイレブンでお菓子と飲み物とキャットフードを買った。通常のレジは使えないけれど、電池式のスキャンのような器具で対応している。コンビニは、セイコーマートもこの方式だった。大きなスーパーでも、できないリスク管理ができているんだなあと感心する。

すでに棚は、すっからかん。次の日のものが入ってくるには、道路事情による。さすがに信号なしでトラックやバスなどは走らせられないのだろう。

すぐに家に帰ったけれど、何かものすごく疲れてしまった・・。

「大谷翔平は、2本のホームラン、4安打の活躍」

お昼ご飯を食べていたら、ラジオから聞こえてきた。

翔平たん、偉いなあ。いつもこうやってわたしたちを遠くから励ましてくれて…なぜテレビが映らないのかとぼやきがらも。心が明るくなった。(翌日、肘の怪我を知らされるまでは…)

ファイターズは、金曜から仙台で楽天と3連戦の予定で、仙台に行けるのだろうかと心配していたら、新千歳空港が営業停止状態で無理だったようだ。
ライオンズは旭川から東京のルートで、無事に帰っていた。

この9月の一番大事な場面でさらに加えられた試練に、ファイターズはどう対応していくのだろうか。電気は止まり、生活も狭められ、ツイッターもできず、何の楽しみもないわたしに、せめてラジオの野球中継をと願うけれど。明日も明後日もないような気がスル・・。

今日はライオンズとロッテの試合でも聞けるといいなあ。

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いつ電気がつくんだろうか。

電気がなくても人は生きていける。これは確かだけれど。
電気によって成り立っていた生活を、捨て去ることもできない。

この未曾有(みぞう)の大災害を、電気が通ったら、わたしたちは、また何もなかったかのように過ごすのだろうか。

自分はどうするのだろうか。

考える時間だけは、いくらでもある停電二日目のこと。

髪をガス湯沸かし器がある台所で洗った。
ボイラーは電気がつかないので、使えない。お風呂は入れない。
娘たち二人の髪も洗った。長くて豊かな髪をごしごし洗って、笑った。



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