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水車小屋のネネ 津村記久子

「水車小屋のネネ」

夜中の2時半に読み始め、朝まで一気に読んだ。
心の隅々まで、朝露のような無垢の珠が転がって、塵芥を吸い取ってくれるような本だった。
辛い場面や悪人だってちょっぴり出てくるのだけれど、それを凌駕するひとの温かさに洗われる本だった。

良心や親切ということばは、なんとなく斜に構えたり偽善やけれん味が加わったりして素直に受け取れないことが多いけれど、ここにある良心や親切は、その直球が剛速ではなく少し緩めなので、気持ちのミットにスッと収まってくれた。

泣けるほどいい人ばかり出てくる。地味に、でも確かに人生を歩んでいて、お節介ではないのについつい人助けをしてしまう人たち。辛いことをそれなりに抱えながら、自然に人の役に立ちたいと考える人たち。主人公姉妹を取り巻く人の輪と、その真ん中に賑やかに囀る賢いネネ(ヨウム)。
でも、全てのひとの連なり繋がりと筆致に押し付けがましさがなく、その微温が快いのだった。

花々や果樹や山の上に拡がる青空、絵を描く人、料理をする人、手を動かす人、ひたすらに働く人、勉強する人、居場所をつくる人、ものを育てる人、人を育てる人。
川の音と水車の廻る音を通奏低音に、皆に愛される長生きの鳥の声を主旋律に、そしてクラシックや愛唱歌、80年代90年代ゼロ年代と変遷するロックまでを幅広いオブリガートに、人の輪をハーモニーにして紡がれる山間のシンフォニー。
1981年から2021年までのディケイドの年代記は、じんわりと何楽章にもわたって心に沁み入るように吸われていった。

イタリア語のオブリガートとポルトガル語のオブリガードは同じ語源と聞いたことがある。
文中にも少しだけ出てくるオブリガード、この清らかな物語を生み出してくれた津村記久子さんに心からそう言いたい。有難うございました。

#手打ち蕎麦が食べたくなる
#ロック小説
#ヨウム小説
#津村記久子
#だいすき

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