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本に愛される人になりたい(35) 山村聰著「釣りひとり」

 子供の頃、嵐山下流あたりに鮎釣りに行く父に同行し、その近くで清流釣りをよく楽しんでいました。餌は河原の平たい石の裏にへばりついている虫でした。後年調べてみるとその虫はヒラタカゲロウの幼虫だったようですが、私は「石虫」と呼んでいました。この虫を釣り針に引っ掛けるとウグイやオイカワなどがよく釣れたものです。中学生になると、一人で自転車で桂川にやって来て、嵐山から松尾橋あたりの河原に立ち、清流釣りを楽しんでいました。
 その頃の友人は清流釣りよりも鮒釣りに凝っており、松尾橋より南の流れが緩やかな川辺で、友人に誘われて鮒釣りも楽しむようになっていました。友人は、本当はヘラブナを釣りたいのだけれど桂川では見たことがないとぼやいていたのを覚えています。
 私が鮒釣りに興味を持ちはじめた頃に出会ったのが、山村聰著「釣りひとり」でした。二見書房が日本で初めて企画した釣り人のための文学シリーズ「釣魚名著シリーズ」のひとつが、この「釣りひとり」です。
 ヘミングウェイや開高健さんらの作品に没頭していたのもあり、釣り文学というジャンルに惹かれていた私は、近所の本屋さんに注文して手に入れたのを覚えています。今なら、Amazonで探してポチッとすれば数日で手元に届きますが、当時は、大型書店になければ、近所の本屋さんに注文するしか入手方法はありませんでした。
 著者の山村聰さんは有名な俳優さんで、映画やテレビドラマで活躍されていました。私が中学生の頃、実家の目の前にある松竹京都撮影所で「必殺仕事人」が撮影されていて、緒方拳さん、林与一さんと一緒に出演されていたのが山村聰さんでした。
 ヘラブナ釣りをめぐるエッセイ集のような本書ですが、山村聰さんの静かな言葉が染み渡る作品で、年齢を重ねるごとに、彼の言葉が心に沁みるようになってきました。人生経験とは、良いものですね。
 「水郷は、ひたひたと水にひたされている。水郷へ着いた私も、ひたひたと水にひたされているようだ。そして、夜の、白々明けである。私は愛舟に棹さして水の上に出る。とろりとろりと舟が進む。細流を抜け、細流を渡り、洗場をよぎって農家のおかみさんにおはようをいい、村中を抜けるともう一面の葦間だ」
 これは霞ヶ浦あたりでヘラブナ釣りをする山村聰さんが、水郷を描いた一文です。後年流行るスポーツ・フィッシングではなく、昔ながらの静寂のなかで釣りを楽しむ心が、ひたりひたりと迫ってくる一文です。
 慌ただしい一年が終わろうとする年末に、書棚整理をしていると本書が顔を出し、しばし本書を手に取り、ページを繰る私がいます。中嶋雷太

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