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私の美(63)「ハワイの赤鬼」

 忘れたころに、ふと思い出す「美」というのが数々ありますが、このハワイの赤鬼もその一つです。
 新型コロナ禍で途絶えましたが、ほぼ毎年ハワイのオアフ島のコンドミニアムに1〜2週間滞在しビーチでぼんやりしたり、レンタカーでノースショアに行ったり、オアフ島の時間を楽しんできました。
 ある日、目覚めるやプリモの缶ビールを冷蔵庫から取り出し、ベランダに座って虹のかかるアラワイ運河やその背景のマノアの山並みを見ながらプルトップに指を引っ掛けようとしたとき、学生時代の貧しいハワイ旅行も含め何十回も訪れたオアフ島なのにハワイ州立美術館を訪ねたことがないのに気づきました。前夜、ハワイ情報のサイトを何気なく見ていて、ハワイ州立美術館の写真が目に入り気になっていたのもあるのでしょうが、人間とは不思議なもので、「行かないといけないよな」という気持ちがムクムクと湧いてきて、せっかく取り出した缶ビールを冷蔵庫に戻し、車のキーを手にとって駐車場に向かいました。
 「何かに呼ばれる」ということが、長年生きているとありますが、それはミステリアスなことではなく、意識しないところ、つまり無意識のところで、色々な情報を知らず知らずのうちに、膨大に受け入れ、図書館の閉架書庫のようなところに収め、その時々の精神が求める何かの為に、無意識野に生きているもう一つの自我が勝手に閉架書庫をうろつき、「この本じゃない?」と私に語りかけるようなものだと思っています。
 「ハワイ州立美術館に行かないといけない」という思いもまた、そうした無意識野に住んでいるもう一人の私の自我が差し出した閉架書庫の一冊だったのでしょう。
 ワイキキからホノルルのダウンタウンまでは距離は数キロ程度なのですが、意外と混雑していて、ドア・トゥ・ドアで約1時間。車を停め、ハワイ州立美術館の入り口に立った私は、ふと、「で、何故、ハワイ州立美術館だったっけ?」と、つぶやいていました。
 花畑に飛んできたのは良いけれど、そもそもその花畑にはどんな蜂蜜があるのかが分からぬ蜜蜂のようで、私はしばらく入り口の前でホバリングしていました。
 賢い旅行者なら、用意周到に事前に情報を集めるのでしょうが、私の場合はこれまでも、旅先では敢えて事前情報を収集するのを避けてきました。たまたま入ってくる情報はそれはそれで受け入れてきましたが、なるべく適当に動くのが好ましく、偶然の出逢いを楽しみたいと願ってきたので、ホバリングするのも仕方がありませんでした。ホバリングもまた、旅先での一興で楽しいものです。
 とはいえ、車を飛ばしてわざわざやって来たわけですから、ハワイ州立美術館に入館しました。飾られた絵画や彫刻などをぶらぶら無目的に見学していると、この美術館のキュレーターさんたちの展示方針が伝わってきましたが、「その時の」私の精神に大きく響くものはあまりありませんでした。有名な絵画や彫刻だから精神に響くわけではありません。以前、何度目かのパリ旅行のとき、モナリザよりも、ピカソ美術館に飾られていたマッチ箱の方に大きな響きを感じたこともあり、私は「その時の」私の精神のありようを楽しみたいと願っているので、ハワイ州立美術館の館内でも同じスタンスでふらりふらりと、秋空の蝶々のように動いていました。
 「ま、今日は、こんなものだろうな」と、そろそろ出口に向かおうかと考えていたところ、出会ったのが写真の赤鬼でした。そのタイトルや由来などは忘れましたが、この赤鬼に会いに来たのだろうなと確信する私の精神がありました。赤鬼に魅入ってしまった私はしばらくその場から動けなくなりました。
 理由は分かりません。もう一人の私が閉架書庫から発見し、この私に今読むべき本だとして差し出した本こそ、この赤鬼だったようです。
 これまで、無意識のうちにこの赤鬼の画像をどこかで見知っていたのかどうかは知る由もありませんが、この赤鬼が伝えてくるものを、その時の私の精神が求めていたようです。
 中国風の絵柄が描かれた袴のようなものを履き、タコを片手にした赤鬼ですが、その表情は海の向こうを優しく見つめています。鬼とは恐ろしいもので、いつも怖い表情をしているのだという私の常識を超え、さらに山ではなく海に生きている鬼のようです。
 「ほぉ」と魅入られたまま、私はワイキキ近くのコンドミニアムに戻り、シャワーを浴びて、ベランダでプリモの缶ビールをプシュッと開けました。夕闇迫る空を眺めながら、シャワーあとの缶ビールほど美味いものはありません。
 そして、私はいつもの放置プレイを楽しんでいました。「赤鬼に魅入られた」という事実に、あれやこれやと言葉考え出し、あわてて飾り立てたくはありませんから。「あの時の」私の精神が魅入られ、しばし立ち止まっていた私を、そのまま放置した方が良いと分かっていたからです。
 美しい言葉やありきたりの言葉で粉飾すればするほど、魅入られた理由は核心へと消えていきます。本当に味蕾が喜ぶ食べ物に出会ったとき、人は「ふむ」と笑みをこぼし、黙々と食事を楽しむのと似ています。いわゆるテレビの食レポとは真逆ですね。
 あれから5年ほど経ち、あの赤鬼と共有した時間を思い出すことがありますが、私の精神に浮かぶ赤鬼イメージはまだまだ発酵している最中のようです。超熟成のスコッチ・ウィスキーのように、やがて時がくれば、お酒の天使が集まってきて酒樽に芳醇な琥珀色の液体を作り出してくれると信じています。それが、いつなのか…。楽しみです。中嶋雷太

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