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悲しきガストロノームの夢想(46)「天下一品」

 天下一品のラーメンとのつき合いは長い。京都修学院の本店しかないころ、太秦から原チャリを飛ばして友人たちと通っていたから、半世紀近くになります。京都の食は薄味だと勘違いされる方もいらっしゃるようですが、その出汁文化を理解すれば、意外と濃厚で、私のような代々京都に生まれ育った人々はかなり濃い味が好きなはずです。お砂糖とお醤油で甘辛く煮たすき焼きなどは典型的なものかもしれません。鯖寿司、ちらし寿司や巻き寿司にしても、かなり濃厚なはずです。千枚漬けや柴漬けもかなりですね。大徳寺納豆などは醤油の塊みたいなものですし、モロミはいつも食卓にありました。七味や山椒の話をするまでもなく、調味料文化が長年根づいているのもあり、味覚の多様性を楽しむ食文化の影響もあると思います。時に、湯葉などのあっさりした食事を楽しんでいましたが、食材の味わい+調味料の多様性を楽しむのが基本だったと思います。
 そして、高校生となり、原チャリを乗り回し始めるや、友だちから「美味いラーメン屋があるから行こう」と誘われたのが、天下一品でした。
 四六時中腹ぺこな十代の私が、あの濃厚なラーメンの虜になるには一口目で十分でした。左手の蓮華で恐る恐るあの濃厚スープを掬い、口に入れた時の感激を忘れもしません。
 表面を薄いチャーシューで覆ったチャーシュー麺は確か500円少しぐらいだったはずで、毎回千円札をポケットに突っ込んで原チャリを走らせていました。今から思うに、「東京卍リベンジャーズ」的なノリだったかなぁと懐かしく思っています。
 因みに、初王将は、中学二年生のころ。嵐電帷子ノ辻駅前店開店で、餃子の無料券を配っていたので、友だちと何枚かを入手して、餃子だけを食べに行った思い出があります。無料餃子券だけの中学生相手に、嫌な顔ひとつ見せずに食べさせてくれた王将は、その後半世紀たっても、そのころに根づかせたブランドの信頼感と親近感を保っているわけですから、ブランド戦略としては正しかったのでしょう。
 1980年代に東京に引っ越すと、天下一品のお店はなく、盆暮れに京都に帰るたび、京都の東映太秦撮影所前にできた天下一品に通っては、懐かしいなぁ、美味いなぁと味を噛み締めていたのですが、やがて全国チェーン店化し、東京でも食べられるようになり、天下一品ファンとしては、歓喜に打ち震えました。ただ、お店ごとに、麺を茹で過ぎたり、お汁が温かったり、ライスの炊き方が酷かったりするので、ここは気をつけねばなりません。東京だけでなくお膝元の京都でも要注意店舗はいくつかあり、その店舗には行かぬことに決めています。
 さて、食べ方ですが、前半戦は麺中心に食べ、中盤では辛子味噌を少し溶いて麺をお汁に絡ませ、黄色いタクワンを小さく齧りながらライスを楽しみます。そして、後半戦はお汁と残ったライスを交互に食べ完食するという作戦は、長年の経験から編み出した私なりの作戦で、現時点では最高の食べ方だと信じています。
 今もなお、京都修学院の本店にいそいそと通った日々は忘れられません。東大路通り沿いを北に走り、本店横の路地を左に入って暗い駐車場に原チャリを停め、カウンター席に陣取り…と、懐かしいものです。
 もちろん、天下一品の他にも、麺屋海神(新宿)、一龍(下北沢)、鶏そばそると(下北沢)、ボノボ(梅ヶ丘)…等々、常用するラーメン屋はいくつかありますが、天下一品についてはそれらとは別物になっています。
 ただ、何十分も行列を作り、崇め奉るようにラーメンを食べる時代は、私はどうも好きにはなれません。
 知り合いやネット評価のお勧めで、色々なラーメン屋さんに行きましたが、不味いなぁというのが多々ありました。荻窪に住んでいた頃は、ある有名店が人気だというので、暖簾を潜りましたが、何が美味いかさっぱり分かりませんでした。麺は伸び、出汁は半端で、チャーシューの下処理が良くないらしく豚の臭みが酷く、しかも店員が偉そうで…。それ以降も、インターネット上で評価は高いものの、食べてみると「なんだかなぁ」という経験が積もりに積もって今に至ります。他の外食での経験も合わせると「トイレが汚い」「ライスが不味い」「店員さんが横柄」なお店は大抵不味いお店のようです。それでもなお行列を作る方々のお話も訊いてみたいものです。
 サクッと行って、サクサクッと食べ上げ、美味いと天井を見上げ、サクリとお会計をして、満足を噛み締め原チャリで帰宅する。美味いものは美味いだけで良いではないかと、つらつら思う昨今です。中嶋雷太

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