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ビーチ・カントリー・マン・ダイアリー(7):「時を、見つける」

 私の小説に「時を、消す」という作品があり、南青山にあるBar JADAというバーで語られた、時間を巡る大人たちのドラマを描きました。人それぞれにその人なりの時間が流れています。その時間感覚の違いの面白さや切なさから偶然生み出される小さなドラマをいつの日か描ければと長年考えていて、ちょうど新型コロナ禍で世の中が沈んでいたのもあり、そろそろ書いてみようかとPCの前に座り続け2022年10月に発行されました。
 タイトルにある「消す」ですが、人は自分が抱えている、記憶のなかにある時間をかなり消していると思われ、どんな人がどのように消しているのかを探ってゆくと、その人となりの心の輪郭が浮き出してくるのでは考えていました。
 他人をじっと観察するのが職業病のようでもありますが、もちろん私個人の時間を巡る過去や未来への感覚も、とても冷静になって(現象学でいうところの超越論的還元でしょうか)考察していました。
 この「時を、消す」発行からちょうど一年が経った昨年の2023年10月に、長年住み慣れた東京世田谷から、片瀬海岸に引越し、ビーチ近くに住むカントリー・マンとしての暮らしが始まりました。
 このビーチ・カントリー・マンとしての私の時間感覚はどうなったかというと、生活環境にまだまだ慣れぬせいか、新たな生活環境での「時を、見つける」ことを楽しみ始めたんだと、最近気づきました。
 徒歩数分にある浜辺に行き、防波堤で腰を下ろすのが日課になりました。東西に広がる砂浜、遠くに柔らかな孤を描く水平線、そして視界の上半分に広がる青空に、毎朝身を置くわけです。すると、生きるための、そうした自然界の振動が私を包んでゆくのが分かります。太陽の光や風や波…などの気づくか気づかないかという、とても微かですが深い振動がそこに存在します。そして、その圧倒的な存在に身を委ねてる私は、到底抗うことなどできない時間の流れに身を任せます。
 私の好きな小説の一つに、アーネスト・ヘミングウェイの「海流のなかの島々」という小説があるのですが、生まれ故郷の盆地にある京都の中学生のころ、この小説を読んでいて微かに感じとっていた時間の流れに似ているのではと、ある日気づきました。
 海辺という大自然「存在する圧倒的な時間の流れに、ちっぽけな我が身を置きながらも、私なりの「時を、見つける」のは、なかなか楽しいものです。現在執筆中の「カラスのジョシュア(仮)」は、見つけだした「時」のかけらの一つをモチーフにしています。さてと、どうなるやら、です。中嶋雷太

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