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私の美(51)「明治神宮野球場」

 古いものなら何にでも「美」を感じるわけではありませんが、古い野球場には心惹かれます。一つには毎日ボールを追いかけていた野球少年で、いまでも野球が好きという、とても個人的な好みがまずあります。もう一つには、スポーツの原点だと思うのですが、庶民が集まり熱狂してスポーツ観戦に訪れた長年の熱狂のようなものが、パイ生地のように積み重なり、古い野球場に刻まれているからです。
 これまで阪神甲子園球場や京都の西京極球場に魅せられてきた私ですが、東京にある明治神宮野球場にもまたそれらの古い野球場と同じく魅せられます。
 阪神甲子園球場はアルプス・スタンドで有名ですが、巨大な鉄骨建造物感が半端なく、満席近い試合での観客席からの声が満ちると、大音量のコンサート状態になります。
 一方で、明治神宮野球場は、とてもコンパクトで外野席はなだらかな傾斜になっていて、隣の座席との感覚もほどよく、優しさ溢れる球場です。
 調べてみると1926年(大正15年)に開場した明治神宮野球場は、その名前にもあるとおり明治神宮が所有者なんですね。
 試合が始まる一時間ほど前に訪れ、ぶらぶら球場内を散歩していると、1926年頃の建築美に出会えます。梁(はり)と言えばよいのかどうかは知りませんが、例えば鉄筋コンクリート壁と屋根を支えるアーチ状の湾曲が美しく、また通気部(窓状のところ)の鉄の装飾もシンプルで材料費を抑えつつ機能美を考えた建築デザインになっています。
 以前、散歩がてらこの辺りをふらふらしていると、ちょうど六大学野球をやっていて、迷い蝶々のように野球観戦をしたことがあります。確か、東京大学対慶應大学の試合で、ワンサイド・ゲームでしたが、六大学野球ならではの熱気を楽しむことができました。
 歴史を紐解けば、1943年(昭和18年)10月21日に、この近隣にあった明治神宮外苑競技場で出陣学徒壮行会があり、25,000人ほどの大学生が戦争に駆り出されました。若い命をもて遊ぶ辛酸極まりない時代に、明治神宮野球場から六大学野球が消えたわけです。数年前の朝ドラ『エール』でも歌われた「栄冠は君に輝く」が、山崎育三郎さんにより、夏の甲子園開会式で歌われたとき、我が亡父も徴兵で野球の道を断たれたこともあり、なんとも言えぬ感情が湧き上がりました。
 戦後復興から現代に至り、六大学野球は復活し、明治神宮野球場をホームとするヤクルト・スワローズが日本シリーズで勝ち…と、庶民をワクワクさせてきたわけですね。
 そうした熱狂を静かに見守ってきた明治神宮野球場も、2026年で満100歳となります。取り壊すことは誰にでもできるでしょうが、一度取り壊せば、庶民と作り上げた100年の歴史は消え去ります。
 マーク・トウェインの共著に「金メッキ時代」という本があります。1870年代から80年代のアメリカで、急速に成長する資本主義社会の拝金主義、成金趣味の時代をマーク・トウェインは舌鋒鋭く痛切に弾じました。
 庶民そして野球小僧たちの喜怒哀楽が無数に刻まれた明治神宮野球場の「美」が消えぬことを祈って止みません。中嶋雷太

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