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マイ・ライフ・サイエンス(18)「レフ板4,000枚の海面」

  浜辺まで徒歩1分の住居に引越し、約2カ月が経ちました。
 ほぼ毎日、朝目覚めるとコーヒーを淹れ、フタ付きタンブラー片手に浜辺カフェを楽しんでいます。
 この冬は晴れる日が続いているのでサングラスは必須ですが、自宅に戻り顔を洗っていると、鏡に映った私は逆パンダ眼のように、眼の周りだけ白い地肌のままで、顔全体がじんわり太陽に照らされ焦げています。毎日少しずつ日焼けしている自覚などなく、ある日気づけば…となります。
 水平線までの距離を6km、浜辺の海岸線を2kmとすると、12平方kmの海面があります。一枚のレフ板が3平方mとすると、私の目の前には4,000枚のレフ板があり、日中はその4000枚のレフ板が太陽光を反射している計算になります。これに浜辺の反射光を足し算すると、この海辺の町に日焼けサロンなどないわけですね。
 2000年から数年、ロサンゼルスに住んでいたころ、毎日毎日良い天気で年がら年中温暖で、憧れていたカリフォルニアの太陽光に飽きてゆきました。日本のような四季ではなく、季節感はとても「薄く」、感謝祭からクリスマス・シーズン、そして年が明けジャガランタの紫色の花が咲き誇る春が訪れるまでの冬も、ロングのダウンコートを羽織ることなどなく、薄い冬を過ごしていました。2月ごろに開催されるグラミー賞やアカデミー賞に出かけるときも夕暮れ前はまだまだ暖かく、会場にたどり着くまではタキシードの蝶ネクタイを外していました。授賞式が終わり帰途につく夜は流石に寒いのですが、コートを羽織るほどでもありませんでした。
 春から秋はほぼ同じような気候で、子供たちが夏休みに入るころには強い太陽が差し、日陰を探していたような記憶があります。ハリウッドのスタジオがロサンゼルスに集まった理由は、晴天の日が多く気候が安定していて、さらに太陽光がふんだんにあるからだったかと思います。当時の撮影技術ではそれらは必須の条件だったのでしょう。私が住んでいたウェスト・ハリウッドは海岸から10キロほど内陸にあったのですが、太平洋の海面が跳ね返す太陽光が路地裏にまで忍び寄り輝いていたイメージが残っています。
 ロサンゼルスほどではありませんが、四季がほぼ二季化した日本の浜辺の町もまた太陽光がたっぷり差し、海面という無数のレフ板がそれをさらに跳ね返しています。
 さて来年の夏。私はこんがり男として浜辺を彷徨っているのでしょうね。中嶋雷太

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