見出し画像

第三話 赤土のピッチ

 十一月の「死者の日」が終わり、街はクリスマスへと動き出していた。雪など降らないレオンの国だけれど、クリスマスの歌があちこちから聞こえて来ると、まだ見たことのない雪景色を思い描き、サンタクロースがソリに乗ってやって来るのが待ちきれなくなっていた。

 十一月の最後の土日に、代表チームに推薦されたジュニア選手たちが国立競技場の横にある練習場に集められた。このチームのクリス・ラモス監督の話だと、十歳と十一歳を合わせて二十名が代表ジュニアとして選ばれるというが、まわりをぐるりと見渡すと五十人は推薦で集まっていたから、レオンは〈ま、ダメでもいいか〉とのんびり構えていた。

 土曜日の午後は四時間ほど、いろいろな練習をこなした。どれもこれも、アンドレア・カスティーヨ・コーチが教えてくれた練習が元になっているのは分かったが、ボールのスピードや回転はまったく違っていたし、練習相手の子供たちの身体の動かし方は鋭くて足も早かったから、レオンはついてゆくので精一杯だった。その日はあっという間に過ぎ、ヘトヘトになったレオンを、ニコルさんが教会のオンボロ車で迎えにきてくれ、家まで送ってくれた。

 そして翌日の日曜日の朝、二チームに分けられ、レオンはBチームになった。Aチームの二十人はこのまま緑濃い芝生のピッチに居残り、Bチームの三十人は隣にある赤土のグラウンドに移動した。〈ああ。ダメだったか…〉と落胆したが、最近フットボールが楽しくなってきたレオンはあまり深く考えずに午前中の練習を終え、シャワーを浴びて昼食会場の食堂にやって来たが、食堂でもAチームとBチームは二つの塊に別れていた。Aチームはにこやかで楽しそうにお喋りしていたが、Bチームは疲れ果てたのか黙ってランチ・プレートに向かっていた。

「ここ、座って良い?」と身体が太めな男の子がレオンに声をかけてきた。
「良いよ」
「あ。俺、ジョッシュ・クルス。君は?」
「僕は、レオン・メンドーサ」
「よろしくな」
「うん」

 レオンは、午前中の練習を思い出していた。ジョッシュは太めだが、ボールの足さばきが柔らかくて綺麗だった。身体が大きいせいか偉そうに見えるが、動きはとっても繊細だった。

「で、ここまで来て、Bチームだもんなぁ」とジョッシュは愚痴った。
「うん。でも仕方がないよ。監督が選んだんだし」
「そうだけれどさ。Bだぜ、B …。やる気が出ないよ」
「そうかなぁ」
「そうかなぁ、って?」
「良いんじゃない。サッカーができるんだから」
「そうだけれど、さ。お前悔しくないの?」
「全然」
「まったく?」
「うん。まったく。だってサッカーができるだけで楽しいから…」
 それはレオンが感じているままの言葉だった。サッカーをするのが楽しい。それだけで良かった。

 ジョッシュは、物事を深く考えずに、ぼんやりとしているレオンの言葉に笑みを見せた。「そうだな。サッカー、やれるんだもんな」とささやくと、スプーンでスープを掬い口へ運んだ。

 そして、午後。Bチームは三チーム十人ずつのチームを作り、エンドレスの試合が始まった。赤青黒のビブスでチーム分けされ、一点入れられれば点を取られたチームが下がり待機チームがピッチに上がる。それを延々と続ける試合が始まった。レオンは黒いビブスで攻守に走り回った。無我夢中だった。時間が三十分、四十五分と経つと、選手たちの動きに驚くほど差が出始め、六十分を経過すると、攻守に走り回り、ポジショニングを見定め、そして声を出してコーチングする選手はレオンとジョッシュの二人だけになっていた。

 およそ九十分、三十人の小さな戦士たちは全身赤土塗れになり、配られたミネラル・ウォーターを二本持ち、天を仰ぐようにぐびぐびと交互に飲んでいた。

「ニコルさん。〈結果は追って〉って、後で教えてくれるっていうこと?」とハンドルを握るニコルさんに、レオンが訊ねた。
「そう。後で教えてくれるっていうこと」
「そうなんだ。だけど、さ。僕はBチームだったから、選ばれることってないよね?」
「どうだろう。そうでもないような気がするな」
「そうかなぁ。Aチームが二十人でしょ。ジュニア代表が十五人だから、Aチームの中から選ばれるだけじゃないかな」
「それも分からない。練習では良くても、試合でどこまでできるのかじゃないかな」
「試合で?」
「そう。試合で。私が見ていたところ、レオンはよくやっているなぁって思ったけれど」
「うん。やれるだけはやったけれど」
「それで、良いんじゃないかな…。でもやっぱり不安なの?」
「不安というか、ね」

 ドリーム・ヒルズに向かう道路は大混雑で、二人は途中にあるモールに立ち寄り、アイスクリームを食べることにした。

「ニコルさん。ニコルさんは教会のお仕事をしているんだよね?」
「うん。教会に雇われてね、『社会福祉』っていう係で、レオンや、ドリーム・ヒルズの子供たちが大きく育ってくれるようなお仕事」
「へぇ。それは楽しいお仕事?」
「ええ。楽しいよ。こうしてレオンが頑張る姿が見られるだけで、この仕事について良かったって思うんだよ」
「そうなんだ…」
「それが、どうかした?」
「ううん。ただ、これからどうなるんだろうって、ときどき思うんだ」
「これから?」
「そう。これから。小学校を出て中学校に入って。中学校はドリーム・ヒルズの外にしかないから、外の連中と一緒になるし…」
「それが嫌なの?」
「嫌じゃないけれど、さ」

 レオンはレオンなりに漠然とした不安を抱いているようだったが、それはレオンが自分で解決してゆくのが一番良いとニコルさんは考えていた。

 その夜。レオンは寝られずにいた。長い一日で疲れ果てていたが、頭だけははっきりとしていた。朝、Bチームに入れられたとき、「やっぱりな」と思った。AじゃなくBだと突きつけられたとき、濃い緑の芝生ではなく赤土の人生なんだと漠然と思ってしまった。昔、この路地に住む誰かが口喧嘩をしていて「負犬根性!」と叫んでいたのを、赤土のピッチに入る時に思い出した。これが「負犬根性」なのかと、レオンは心を沈ませながら赤土のピッチに立った。けれど、試合になると全部忘れていた。サッカーの試合が楽しくて、楽しくて、赤土に塗れるのが勲章のように思い、走り回った。家に帰ってきて、外の水場に行き、大きな石鹸で赤土に塗れたユニフォームをゴシゴシと洗ったが、なかなか赤土の色が落ちなかった。けれど、外の世界で何かを必死にやり遂げた証のような気がした。

「はぁー、疲れたなぁ」と、ベッドであれこれ考えていると瞼が重くなったレオンはいつの間にか深い眠りに落ちていた。

 そして、数日後のこと。コーチのアンドレア・カスティーヨが固い表情で、ニコルさんと連れ立って、レオンの家を訪れた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?