いくつになっても自意識過剰な私は自由な清少納言になって愛されたい
n回目の西加奈子ブームきてる。
西さんの描く、「自意識」と「自由への憧れ」の対立が最高だ。結局その二つは対立してなくって、自分は自分と受け入れる、っていうことになるんやけど。
(「漁港の肉子ちゃん」より。読み返しすぎてボロボロ)
けど、それが、むずかしい。ずっとずっと、苦しんでる。(苦しんでるふりして、そういうちょっとめんどい自分が好きという説もあり)
こういう思考回路含め、自分はかなり、自意識過剰だと思うけど、西さんも、きっとそうなんだと思う(違ったらごめんなさい)
っていうか、表現系の仕事してる人とか、ブログずっと続けられてる人ってきっとそうなんだと思う(違ったらまじでごめんなさい)
清少納言とか、まじで、ぜったい自意識過剰の極みだと思う。(違ったらハイパーごめんなさい)私、平安時代に生きてたら結構エッセイストとしてイケてたかも!?今はライバルが多すぎる。
今note書いてるこの瞬間だって、今日はめちゃくちゃ久々にパソコン持たずに小さなバッグで出かけた(なんだかんだGW中もずっとパソコン持ってた)のに、中目の蔦屋書店で買った西加奈子さんのエッセイ読んだらいてもたってもいられなくなって、最寄り駅のサイゼで白ワイン(デキャンタ二百円!デフレなの?)飲みながら、スマホでポチポチ、これ書いてるもんねっ!
いままで、ビルゲイツやらマーガレットサッチャーやら小池百合子さんやらになりたい!なりたい!!!って喚いてきたけど、それは嘘じゃないけど、私気づいたわ。やっぱ、圧倒的に清少納言になりたいわ!!!!!
自分のこととか、とりとめのない日常生活をつれづれ書いて、それが1000年の歴史を超えて読み継がれて、教科書にまでなって、田舎のDQNでもだいたい名前知ってるとか最高すぎやろ!
ビルゲイツとかマーガレットサッチャーみたいに偉業をこなしたから愛されるのではなく、なんかもうどうしようもないありのままの自分そのものを愛して欲しいよ!!!!(清少納言の子孫の方が万が一読んでたら、ほんとごめんなさい。メタファー的に使わせていただいてます)
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自由に憧れるてる人ほど、自意識過剰で無用に苦しみがち説。けど私は、結構そういう人好きですよ!
はー、いくつになっても、どんな立場になってもこういう気持ち中二から変わらんわー。愛されメイクしなくても、愛されたいわー。
生きるってそういうことだよね??
(これ、明日読んだら確実に後悔するやつ。けど1000年後、もしかしたら東大の現文、いやもはや古典の入試の題材として扱われるかもしれないし。赤本に載って全国の受験生が筆者の意図汲み取ろうと試行錯誤してること考えるとめちゃくちゃ気分良い!現世の苦労全部満たされる気がする。その場合、どうぞ、お気軽にご利用くださいね)
ご覧いただきありがとうございます!調子の良い不器用な人間が、自分の言葉で生きることだけは続けようと書き綴っています。素直さだけが取り柄なので単刀直入に、サポートいただければすっごく嬉しいです!