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表現の自由とかいう外から見て面白いなと言う騒動

皆、「バカの壁」読もう!似たようなこと書いてあったぞ!芸術であるかはどうやって決まるかとかな!

昔からよくフェミさん対表現の自由という戦いを見てる。
かなり面白いので知らない人ははるか昔からのTwitterでの攻防の歴史を見てほしい。

往々にしてフェミさんは軸がブレていて過激な発言が多い。対する自由側は寛容と言える。

フェミさん達は一人一派なので、一括にして論じるのは失礼かと思うが、根底としては、表に出る女性(特にポスター、広告など静止画的なもの)に対して性的で無いものを求めているように感じる。

自由側は大体の表現に対して、時代の流れだからこういうのも良いんじゃない?という感じだが、倫理的に完全アウトなところはきっちりしている。

両者良くないところは専門用語をいきなり連呼する所である。カタカナ語ではなく日本語を使って感じで字面から意味を確定させてほしい。非常に話を理解しにくい。

なぜフェミさんは宇崎ちゃんとかに噛みついたのか

一説によると嫉妬。
一説によると、フェミさん達は破廉恥なのは良くないと思っている、淑女警察であるから。
Twitterの反応を見てるとどちらも正しく思える。炎上として槍玉に上がっているのは大抵この辺だ。
さて、ここで邪推をしたくなる。一体フェミさん達はどういった層の人たち、またはどういった人達の思想に影響されているのか。

俺には心当たりがある。
60代以上の男女じゃないかと。記憶が正しければ、この時代の人たち位は表現へ不寛容だった。
そして、この年代を過ごして来た人達、またはその子供達が今のいわゆるツイフェミさん達では無かろうか?
そこに現在のトレンドである男女平等が入り込み今みたいな地獄絵図が生まれたのでは?と考える。
(言い訳の仕方とか、時代を感じません?)

表現の自由は何を守っているのか

ところで、俺は俺の文章が芸術であると信じてるんです。だから俺の文章は芸術として認められるべき。見た人はお金払って。もしくは敬意を払ってコメントして。

これが認められるかというとそうじゃない。
芸術性も一貫性も無い殴り書きに価値を見出すのは俺が文学者として後世評価されたらですよ。
しかし言うだけは許される。これが表現の自由と言うやつです。
しかし、これが人に実害を加えるとどうなるか。例えば百人殺して、その死体でオブジェ作ったら?そしてそれでないと表現出来ないものだったら?
…まあ駄目ですよね。そもそもそういう表現は許されません。表現が許されたとしても、法治国家的に過程で許されない。では、死体のオブジェでしか物事を表現できない人に表現の自由はあるのか。有るんですよ。許されないだけ。
許されない根拠は過程が法律違反だから。もしくは人道に反してるから。
つまり、表現の自由というのは法律やら人道を守ってるということです。
(これだと労基法に違反して作られた表現物全部ダメになりそう…w)
お気持ちの寛容さライン以外は何も守ってねえなという結論になってしまった。申し訳ない。

フェミさん達の心配な行く末

現状、フェミさん達は概ね成功していると思われる。
少なくとも何例も自分たちの思うように行ってるわけだし、騒動が大きくなって人目につけば味方も増える。
果てはこのままフェミさん達の思う日本になるでしょう。

さて、海外ではLGBT(今はこの呼称が正しくないはず。不勉強で申し訳ない)やポリコレに関する議論が盛んである。
日本を制圧したら待っている問題がこの2つ。おそらく日本でのフェミニズムと食い合わせが悪い。そことどう折り合いをつけて行くのか。今から考えて置かないと、議論の成熟度合いや本気度で負けてしまう(海外ではガチの死活問題であると見受けられる)。
まずははっきりと物事一つ一つに根拠のある良し悪しでアンチフェミニストからの質問に答え、これからの論戦の訓練としてはどうだろうか。

まあ、こういう話とか性的マイノリティーがとか、そういう話を始めた時点で人類の発展はここでおしまいです。残念ですけど。そして中国の思想かタリバンの思想が世界を支配するでしょう。
言いたいこと言ったからもうこの関係には触れません。

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