「青山」という土地ブランド

8年前、私は40年住んでいた東京都下にある東久留米から、港区南青山に移ってきた。サロンを開業するために。
なぜ青山という場所だったのか?青山という、みんなが思うブランド力のある土地だから。でも、一朝一夕にはこの街に潜り込めない。それも事実。実際、不動産を中心にあらゆるものの価格が高い。とても、ぽっと東久留米から出て来て開業しようなんて思える土地じゃありませんでした。

それでも、青山で開業した。それは番頭ホーキの地元だったから。地元民に「青山」というブランド意識はとても低い。砂利道だった頃の青山を知っているからでしょうか。
部外者だった私が、まさか自分が港区民になろうとは、ましてや青山の住人になるとは思ってもみなかった。
中学生の頃、竹の子族を見たくて時々電車に乗って原宿に来ていた。
大人になっても原宿表参道は大好きで、用事がなくてもふらっと訪れ、街の空気を楽しんでいた。その先の青山という土地は、もう少しハードルが高かった。気張って行くイメージ。
青山で暮らすようになって一番不思議だったのは、外出先からさて帰ろうと、電車で目指す最寄り駅が「表参道」ということ。「え?帰宅するのに表参道駅に向かうの?」としばらくは帰宅の度に変な感じがしていた。

芸能人が多くいると言われる青山で、初めて芸能人に会ったのはスーパーでの買い物帰り。片手にトイレットペーパーを持ちながら表参道の交差点で信号待ちしていた時、隣にすごいオーラを感じた。おそるおそる振り向いたら、ピンクのシャツを着た俳優の向井理くんだった。顔が小さくスーッとしたハンサムくん。めっちゃ興奮しましたよね。その話をシュハリのお客さんにしばらく自慢話してたんだけど、その話を聞いたお客さんたちは帰り際に表参道の交差点でしばらく立ってみたという話笑。そんなタイミングよくは会えませんけどね。その当時、3日に1度ぐらいすれ違う芸能人といえば、おすぎとピーコのピーコさんでした。ご近所さんだったようです。まあ、それぐらいです。

「あら、そのスカートおしゃれねぇ。やっぱり青山の人になると洋服のセンスもかわるのねぇ」って言われたりしました。アジアン雑貨で買った千円のスカートですけどね、しかも東久留米にいた時から着てる服ですけどね。未だに青山に並ぶ蒼々たるブランドショップにウィンドウは眺めるも、入った事はないんですけどね。
「やっぱりさぁ、青山にいるとつき合う人たちも変わってくるんでしょう?なんか遠い世界の人になっちゃった感じしちゃうんだよねぇ」と言われたりもしました。青山にいるとつき合う人ってどんな人たちなんでしょうね。わかりません。

まあ、こんなふうに、勝手に「青山」というフィルターを私にかけて、全然違う見方をされてしまうことにたいそう戸惑いました。この時つくづく「青山」という土地ブランドのすごさを感じました。
ホーキが通った小学校や、友だちと遊んだ公園や、買い物に行かされた商店街が今でも残っていて、故郷に帰ってきたというのがホーキにとっての「青山」です。
シュハリは南青山奥地にある築59年の昭和の古民家です。
近頃はご近所の知り合いも増えて、道端でばったり会ってしばし立ち話とか、田舎から野菜送って来たからお裾分け持って来てくれたりとか、ふらっと家に立ち寄ってお茶して行く人とか、そんな情景は東久留米となんら変わってないなあと思います。誰かにとってのおしゃれな街「青山」は、そこに暮らしている人たちにとっては自分たちの生活の営みがある街なのですよね。そういう「青山」が私は大好きです。

今回、その南青山の一等地に港区が「こどもの支援センター」を建設するにあたり、そのような施設が建ったら「青山の街に夢がなくなる」「土地ブランドの価値が下がる」等の理由で反対運動が行われてると聞いて、憤懣やるかたない気持ちです。反対運動の旗手は不動産仲介業者。


マスコミやメディアが作り上げた幻想の上に成り立っている中身のない街「青山」という見方もあります。
しかし、根っからの青山の住人は、ホーキを通してしか知りませんが、そんなに民度は低くありませんよ。知らぬ間に価値が上昇してしまった土地に暮らす人々です。目先のバブル的金銭に踊る程度では、青山の住人はやってられないのだと思います。つまり、青山で50年以上港区民を貫く人は、こども支援センター建設に反対なんてしないと言う事です。ひとり歩きする中身のない街青山と同時に、普通に人が暮らし続けている青山もある事を、住んでみたら分かりました。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

15
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。