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なんでライバーやってんの?

はじめまして、俳優兼ライバーの岡村です!
このnoteは、配信4周年を迎えたことを記念して書いたヒストリーノートになります。
1ヶ月1万円の食費で過ごさなければ行けなかった日々や、集客出来ずに苦しんだこと。
それから私自身の発達障害のことなども赤裸々に書かせていただきました笑

また、それだけではなく

・配信って何年やってるの?
・どんな苦労があったの?
・どんなことができるようになるの?
・配信ってどんな仕事なんだろう?

が分かるnoteになっておりますが
【配信には何が必要なの?】
というところだけは少し有料にさせていただいています(´>∀<`)ゝ

これから配信をやってみたい!
配信って闇だらけなんでしょ…?
やりたいけどちょっと不安かも…などなど、疑問やお悩みを抱えてる方にも…
是非ぜひ読んでもらえたらなぁ…と思ってます!

・1章:私、風俗店に売り飛ばされる!?

一番最初に私が配信を始めたきっかけは一通のメールだった。
その頃の私は計画性もなく、手取り収入15万円がせいぜい。昼と夜のお仕事を掛け持ちしながら某モデルサイトに登録してたまに写真を撮ってもらっては薄謝はくしゃを受け取りその場しのぎの生活をしていた。

俳優としての活動もなかなか軌道には乗ってなく、出演できるのが1年に2回。大きい箱に立つこともなく、お芝居をどこかで学ぶこともなく、とにかく時間だけはあってその時間はバイトにすべてあてられていて、生きるのに必死。そんな毎日だった。

だからその某モデルサイトを経由して届いた「配信をやってみませんか?」という内容のスカウトメールに書いてあった最低6万~50万まで稼げます!
(ここの文言記憶があやふやなのですが…)
というような文章につられて内心「うっそだぁ」と思いながら面接を受けに行ったのを覚えている。

面接を受けに行くとそりゃあもう目が飛び出るくらいの中華系美人と恰幅かっぷくのいい眼鏡をかけた男性がいた。ふと違和感が頭をよぎる。
今まで受けてきたオーディションと名の付くものにこんなきれいな女の人は見たことない…。困惑している私を中華美人が見てひとこと
「うん。可愛いね」
てやんでい!嘘をつけぇ!鏡見たことねえのか!様々な思惑が私の脳内を駆け巡ります。なぜ美人が私を可愛いというのか?絶対に目の前にいるあなたの方が可愛いのに!私を浮かれさせて何のメリットがあるんだ?…と疑問。
当時卑屈であった私の脳内ではそんなことが浮かび、ハッと一つの可能性に直面してしまった。

(((((配信の面接といいながらこれきっと風俗の面接だわ))))

このころ見ていた漫画はウシジマくんと新宿スワン。
債務者としてホストに怒鳴られながら車に乗せられる泣いている女の子が頭をよぎるよぎる。
目の前の眼鏡のおじさんが頭の中でウシジマくん一巻の表紙と重なっていきます。
(実際マジで似てない)
きっとこの中華美人は面接を受けに来た女の子を安心させるための材料で、「ちょっとじゃあ脱いでみようか」なんて言われてしまうんだわ!
私の頭で警告が鳴ります。そんな私の前にどうぞとお茶が出てきた。
お茶!!!!このお茶を飲んだら最後眠らされてパネルに使う写真を勝手に撮られちゃうんだわ!かつて裏垢で見つけた風俗レポの内容が頭をよぎります。
おどおどしている私を尻目に自己紹介が始まりました。
「どうも、こっちが社長です」と眼鏡のおじさんが美人さんを指した。

岡村梨加、人生で初めて女社長さんとの出会いである。

・2章:配信の奇跡を無邪気に信じるバカ

その後あれよあれよという間に契約の話なんかをして、配信のことを教えてもらってその場で美人社長と初配信を行いました。そして服を脱ぐなんてことなかった。疑ってすみませんでした。そして配信をやってみますと言ってから一週間。

私はまだ昼も夜も働いていた。配信なんか微塵みじんもやっていなかった。
面白さが一つもわからなかったのだ。顔の見えないリスナー、飛んでくるギフトは貴重さが分からず、どうやって盛り上げたらいいのかわからない。
何もかも面白くなかった。なんで?これで?どう配信を頑張らなきゃいけないのかわからなかった。みんなどうして画面の前であんなにしゃべってあんなにニコニコしていられるのか微塵みじんもわからなかった。
いつかもっと楽に、もっと簡単に、もっと奇跡みたいなことが起きてお金が入ってくるんだと無邪気に信じていた。

1ヶ月で17時間。今でも私の最低記録である。

・3章:何にもなれない私、何者かになりたい私

一言でいえば世間知らずの岡村。無邪気に奇跡を信じながら気が向いたら30分だけ配信を付けていた。今思うと信じられない、マネージャーだったらぶちぎれている。
そんな私にも優しく社長はランチや、新しいメンバーとのご飯に呼んでくれていた。なんで私を気にかけてくれるんだろう?不思議に思いながらも大事にしてくれる想いにはこたえたい!と思った私はふときいたことがある。
「どうやったらもっと効率よく稼げますか?」
よくもまあ17時間しかやってないのにこんな言葉がでたよな…と思うのだが社長は特に馬鹿にすることもなくうーんと少し悩んで答えてくれた。
「まあ時間かけずに稼げるほど甘い世界じゃないよね。」

衝撃だった。
いや今にして思えば当たり前じゃん!のオンパレードだがその時の私にはとてつもなく衝撃的な事実だった。象だかキリンに殴られたぐらいのショックがあったしギャグマンガだったら壁にめり込んでた。

配信はなんだか楽しくないし、時間をかけるくらいなら本を読みたいし、だらだらしたい。楽しく思えないんだから配信なんか向いてないんだと心の中でずっと思っていた。
でも最大限努力したんだろうか?向いてる向いてないって時間をかけた人だけが言えるもんじゃないんだろうか。
初めて私の中に時間を「つくる」という概念が芽生えた。

2ヶ月ちゃんとやろう。直感的にその期間を選んだ。
2ヶ月ちゃんとやって成果が出ないならやめよう。その時は本当に向いてない。そう思った。
そうしてやり始めた1日2時間の配信は本当に大変だった。朝7時に起きて1時間配信をやって急いで仕事場に向かう。満員電車が本当につらい。
帰宅ラッシュにもまれながら帰って来たら1時間半の配信。夜の仕事がないときは20時から、夜の仕事の後には1時間も開けないから30分だけ開いておやすみ配信をした。
よく寝坊をした、バイト先で居眠りをするようになって怒られた。
今日はもうしなくていいんじゃないかって何回も思いながら自分で設定した1ヶ月60時間を達成するためにがむしゃらに頑張った。人生で初めて自分で設定した目標にむかって、初めて言い訳を盾にしないで、その時までの人生の中で初めて最大に頑張った。
何がこんなに私を突き動かしたのかといえば
「もうここで頑張らなかったら何者にもなれない」
という一心だった。

この時俳優としての集客平均は13人。正直言ってやばい。というかこの先も俳優を続けていきたいと考えた時に、自分の芝居がお世辞にも上手いだなんて思えなかった。私のこの道の先にあるのはやめるという選択だけだと思った。

俳優としてだって中途半端、配信も中途半端。ここで一生懸命にならなければもうこの先一生懸命になれないと思った。私の思い描いていた「いつかおこってくれる奇跡」なんてのんきに寝ているだけでは来ないのだと初めて体感した。じゃあせめて、今目の前にある配信だけでも一生懸命にならなければと、もう半ば強迫観念に近かったと思う。

私が私であるために、何者かにならなければと強く思った。

2ヶ月後、がむしゃらに走り切った私はお昼のバイトだけをすればいいようになっていた。
3ヶ月後、お昼のバイトを辞める決心をつけ始めた。
4ヶ月後、客席数200の舞台に出るための稽古を口実にバイトを辞めた。

私がライバーとして人に認められはじめた瞬間だった。
私が何者かとして、初めて自分のことを認められた瞬間だったように思う。

・4章:他人と向き合ったら自分を好きになってたけど発達障害とも向き合う羽目になった

ライバーとしてやっと少しずつ功績を残せるようになってきたころ、マネージャーをやってみないか?と言われた。
人のことを考えたり、人の気持ちの機微を感じるのは得意な方だと思っていたので二つ返事で引き受けた。
そして初めて受け持った担当2人は2ヶ月もしないうちにやめてしまった。

今でも覚えている。そして今でも私のマネジメントの力不足だったと思っている。とても悲しかった。

その日から真剣に「この子の魅力が最大限に伝わる配信の方法はなんだろう」と考え続けた。もうやめてほしくない。選ぶならいい、でもドロップアウトさせたくないと思った。
昼夜を問わず連絡をとったし、深夜に呼ばれたら電話をすぐにした。
陰でいろいろと言ってきてうざいと言われていたことも知っている。それでもよかった。かかわっているライバーさんたちがみんな幸せで、自分の人生をつかめたらいいのにって本当に真剣に思っていたし、この時の気持ちが今も私の原動力だ。

今まで担当させてもらったライバーの7割近くは希望月収に。
そしてその中の半数以上が100万以上の月収を得られるライバーになったのは今でもすごく誇りだ。担当の子たちが私の言葉を素直に受け入れてくれたおかげだと思う。私と向き合ってくれてありがとう。

そして不思議なものでその気持ちはリスナーさんにも向いていくようになった。みんな幸せでいてほしい。
でもそう思えば思うほど、今度は配信が空回りするようになった。思うようにならない。相手のための言葉、相手の顔色を考える。一番喜んでくれることを考えて、考えて、そうしてそうしてそんなことをしていたら今度は私の処理能力が追い付かなくなってしまった。
そしてこの時初めて自分がADHDであることを知った。

心療内科の先生にそう言われたときにびっくりするよりも先に「やっぱり?」と思った。大事に思っている自分の心と真逆の行動をとる自分が信じられなかった私にストンと納得がいった。
「岡村さんは、どうなったらこれから楽に生きられそうですか?」
と先生に聞かれて駆け巡ったのは今まで守れずなあなあにしてしまった約束事と幾度となく止まり続ける家の電気や水道、ガスの払い込み用紙だった。

「普通の人みたいに期限を守って普通の人みたいな生活を送りたいです。」

20代で初めてなんじゃないかってくらいボロボロ泣きながらこんなことを言った。超特大級の涙が握りしめた手にぼたぼた落ちたし、鼻水はマスクを突き抜けていた。先生が気を使って五回くらいティッシュをくれた。後で思い返してこっそり自分でウケた。

期限も約束も大事にできない自分が大嫌いだった。目先のことだけにすぐ気を取られてすぐ期限を忘れて大事に思っている人を傷つける自分が本当に大嫌いだった。ごめんなさいと謝りながら言い訳をしなきゃいけない自分なんか本当に大っ嫌いだったのだ。
だらしがないんだとずっと思っていた。だから気をつけなきゃいけないはずなのに気を付けられない自分を受け入れられなかった。ましてや病院に行くなんて発想も思いもよらなかったし、考えもつかなかった。

配信をやらなきゃ、やりたい、大切にしたい。と思わなかったら病院に行くなんて選択肢は受け入れられなかったんじゃないかと思う。(病院に行きなよといってくれたのは友達でした。友達にも感謝)

そしてこの時期を経て「どうやら私が幸せじゃないとリスナーさんは幸せにできないらしい」と本当に本当の意味で初めて気が付いた。
マネージャーをやっているときに口酸っぱく言ってたことが自分が一番できていなかった。一番驚いたし一番のおバカさんの存在に気付いた瞬間だった。

今では原因を考えて突き詰められる、理由を探求してそれをきちんと解決させようと言葉を尽くす自分のことを、今は割と好きになれた。

そしてこれは配信というお仕事を一生懸命していなかったら気が付けなかったし、一生懸命やる中でいろんな人と向き合い続けたその努力の集合体なんだと思っている。4年前の自分、ナイス判断だとほめてやりたい。アイスもおごっちゃう。

配信を通していろんな人と向き合って、私は3年前なら予想できなかった環境と人間関係と、自分のやりたいことを見つけられました。ずっと付き合い続けてくれた人たちに感謝を送りたいと強く思います。

・締めくくり:今の私にできること

このnoteのタイトルは、私が配信始めたての頃よく言われていた言葉です。

配信というお仕事はまだまだ知名度が低くなかなか理解がないものです。それに苦しむ方、内容がなかなかわからないから踏み込めない方。たくさんいらっしゃると思います。そんな中で最後に有料にはなってしまいますが、
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