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じゃあ例えばあの時こうだったとか言ったってもう誰の顔も思い出せない。

雨が降って、傘を持って電車に乗る。
電車から降りて人混み、ごみごみしてるなあとちょっと嫌な気持ちになりながら改札を出て、ふと座った時に引っ掛けた傘を電車に忘れたことに気がついて、ああ引っ掛けなかったら置き忘れなかったのに。みたいな後悔が、私には沢山ある。
返しきれなかった御恩だって、恩を仇で返したことだって、ご縁をつなげばよかったのに自分の怠惰のせいでなくしてしまったご縁が、たくさんたくさん。ある。

自分で公演を打つ、という4月の公演のことをちゃんと決めたのは昨年6月とかそんなころだったように思う。嘘かもしれない。でもとにかく世間はコロナに手いっぱいで。公演は少なくなり続け、私は私でいろいろと大変だった(ここらへんは割愛)。公演を打つことの動機は私としては2つあって1つはもちろん自分のこと。ここからは俳優もしくは人前に立つ人でないとあまりピンとこない話かもしれないが、23歳を迎えたあたりで私には悩みがあった。
23歳。世間的に見たら若いけど芸能の世界ではもう目新しくもない年齢。25歳前まではどこに行っても「若いね~」と言ってもらえた。逆に言えばそれしかない。でもそれしかない私には25歳を過ぎたら何が残るんだろうとずっと考えていた。演劇をやる自分の価値って何だろう。【私】が俳優としている価値、それと共に私ができることってなんだろうと悩んでいたそんな折、コロナがやってきて演劇を辞めちゃう人がぱたりぱたりと出てきた。

正直焦った。みんなリレーでもしているみたいにやめていく。それと同時期に事務所の俳優部の解体、大手劇団の解散。どんどん見ていたところがなくなっていった。気持ちは土地開発に追われて山を捨てなきゃいけなくなった平成狸合戦ぽんぽこのたぬきだった。

自分で公演をやる。自分ではもう二度と取らないだろうと思っていた手段だった。このあまり直面することのない特殊な状況が私の背中を押してくれたんだと思っている。

劇団やユニットって広場みたいなものだと思っていて、誰でも集まれて誰とでも喋れてそれでその日の終わりにはみんな離れ離れになってしまう。でも広場がある限り必ず誰かと誰かが出会えるものなのだと思う。素敵だなと思うし、改めて責任をもってその立場に立とうとすると正直気が気でない。でも正直すごくすごく楽しみだとも思うわけで。私なりにできることを尽くしていろんな方とのご縁をむずびたいなと思っています。

なるべく今度こそ後悔の無いように。


オカムラ企画 次回公演「あしたばのおひたし」

web→https://okamura-kikaku.jimdosite.com/

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