子を「バイリンガル」に育てるのは楽じゃない

私は帰国子女だが、とある帰国子女の知人に聞かれた。

「ちまたでは幼少期から英語を学んでいるとよくないというけど、そんなの嘘だよね?英語媒介プリスクール(日本の)に通わせても大丈夫だよね?」

例えば、某東大卒人気塾講師タレントのバラエティ番組では、幼少期から英語を学ばせる親を批判している。一方で、その批判に対する批判は、学術的に誠実すぎるため地味すぎて、あまり知られていない(テレビネタにならないし)。(例えば、以下)

先ほどの知人に対して、その場では一応「問題ない」と答えた。学術的に誠実にいうと、「何も実証されていないので、絶対的な保証はない」、である。

これまでたくさんのバイリンガリズム研究が世界でなされていて、バイリンガリズムの効用を謳うものも多くあるので、そんなばかなことはない、と思われるかもしれない。

しかし、厳密にいえば、様々な教師・児童の個人差のほか、バイリンガリズムの定義、教育方法(どのようなアプローチや働きかけを行ったか)、どの言語とどの言語の組み合わせか、などの要因がそれぞれの研究で異なるので、「絶対」はない。彼女の通わせるプリスクールのやりかたや、彼女の子の素質や、日英ペアだとか、そういう条件下でどういう結果になるかは、簡単に結論づけられない。

心理学など、人間を扱う実験・実証研究の結果は、あくまである仮説とある前提条件内に基づいた実験・解釈から導き出された結果であり、そのような導き出された結果は、普遍的事実・真理を発見したという主張はない。(このあたり、しっかり解説して理解してもらうには、数回の説明が必要なので、省略する)

もちろん、これまでわかっていること、つまりこれまでなされた研究のデータと結果から解釈して、ある程度の仮説を立てることは可能である。(ここも省略-詳しいことはバトラー後藤裕子『英語学習は早いほど良いのか』岩波新書、等がおすすめ)

 

急になんでいつも考えているそういうことをわざわざ書いたかというと、最近、立て続けに、子どもをバイリンガルとして育てる大変さに関する記事を読んだからだ。

オーストラリアの応用言語学者グループのブログ (この分野では第一人者)(英語)
Secrets of bilingual parenting success - Language on the Move

  (注:移民の出身国の言語=B語、とする)

第一世代はB語優位、第二世代は英語優位のB語バイリンガル、第三世代は英語モノリンガルに陥りやすいが、B語を使えるようにするには、B語を使う環境を作る必要がある。しかし、B語を使う環境というのは、就学すると一気になくなるのが現状である。そのため、各コミュニティ(親など…)でその整備を行う必要がある。また、B語の保持伸長には、読み書きの能力(文字が書ける、レベルではなく、文章を理解し再構成できる、などを含む)が必要であるため、そのサポートが必要である。話す場をつくることさえ、親などには多大な負担であり、読み書きサポートまで行くと、かなり大変なので、学校というシステムが上手に支援していけるとよいだろう。

 

バイリンガル子育てを試みているロシア系ライターの記事 (引用されている研究は信頼に足るものだと思った)

 幼少期からの二言語使用は、認知面などの様々な肯定的な効果があると言われているが、実際は社会的にもう一方の言語を使うことは大変難しいことであり、水の流れに逆らって泳ぐようなものである。まず、乳幼児はスポンジのように二言語を吸収する、といわれているが、実際は、一言語話者よりもことばの発達は遅くなるので、二言語で育てること=一言語話者2人分、になったりはしない。つぎに、家の外でA語、家の中は全部B語で、と分けて育てればいいというが、そんなに簡単ではない。家でB語を使い続けるのは、それがたとえ母語であったとしても、親にとっても社会的・心理的に大変である。

 

(おそらく二言語ではなく一言語の)発達心理学・言語発達の研究者による記事

 上記の英語記事にあったように、子どもを二言語話者にするのはとても大変。親が家庭で一生懸命にB語で会話しても、B語で答えなくなるのは、B語ができるできないということではなく、子どもがどの程度その言語を獲得していくかを選択していること(つまり、言い方を変えれば、環境に適応している、ということなんでしょうね)。そして、(ここからがこの先生がきちんと研究等を引用して書いているところですが)幼少期にインプットされたがその後ほとんど使わなかったB語の知識が、その後も脳内にとどまってそのB語の習得を促進するかどうかは、研究結果が分かれている。


先の知人には、念のため、「そもそも様々な要因があるので、学術的には害があることも、害がないことも証明されていない」といった趣旨のことを言った。「ありがとう、そうだよね、自分も幼少期から英語漬けで問題ないから、疑問に思っていた。ありがとう、安心した」といった反応が返ってきた。私は決して「害がない」と言ったわけではない。ただ、帰国子女として育った経験から、二言語を育てる大変さも多少わかっているだろう。そのため、いわゆる一言語のみで育った人に比べれば、大きく構えていられるし、万が一だが希望していなかったような事態に遭遇しても、それなりに対処するだろう。

 この知人は自分の経験と自分の考える理想の教育方針から、自分の子を英語媒介プリスクールに送ることを決めたのである。親として至極当然のことである。私立受験させるかどうか、幼少期からピアノを習わせるかどうか、自然の多い環境になるべく触れさせるか、子と祖父母の接触を増やすか、教会に通わせるか…英語やその他の言語の教育だけでなく、どのような教育の選択肢であれ、ほとんどは親が、自身や見聞きした身近な他人の経験と、自身が子の将来のためにした方がいいと思っていることを前提になされる。それなのに、バイリンガリズムや英語教育だけ、いちいちバッシングするのが好きなのが、横並び志向の日本社会の傾向なのかもしれない。

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