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とけてた

お正月だから、今年の抱負を。強く決意したこと。それは「時間を溶かさない」ということ。もう少し自分の年代に合った言い方をすると、「時間を大切にする」ということだ。

とはいえ、なんでもかんでも時間通りに、予定通りにキッチリと物事を進めようとすると、自分中心になってしまう。だから、気持ちをゆったり持ちながら、周囲の人たちに寄り添って、とにかく毎日を大事に生きていこう、と思っている。

(ここから先はたいした内容ではないので、お急ぎの方は読まなくても大丈夫)

実はこんなことがあった。1月2日の午後9時。少し年上の友人から電話がかかってきた。
「明けましておめでとう、って言っていいのかな?ご不幸があったのはいつだったかしら。ここ数年、周りの人がどんどん亡くなるから、どなたが喪中で、どなたがそうでないのかがわからなくなっているの」
そうですか。わが家は大晦日で喪が明けました。
「あらよかったわ。どう?お正月は?」
ええまあ、特別なことはなく、普通にのんびりしてます。
「うちはね、年末に娘がおせちをたくさん作ってくれて、それに珍しく年末のお掃除も順調にできて、本当にゆったりした気持ちでお正月を迎えたの」
それはよかったですね。おせちを作ってくれるなんて、娘さんもすっかり大人になられて。もう二十歳ですもんね。立派ですね。
「そうなのよ。本当にいっぱい、いろんな種類を作ってくれて、助かったわ」
よかったですねえ。
そんな感じで、そこから30分、わたしは「そうですね」「よかったですね」「いいじゃないですか」「あー、そうかもしれませんね」とか相槌を打ちながら、話を聞き続けた。

しかし。年始の挨拶から、徐々に雑談になってきた。明らかに今じゃなくてもいい話。それでもお正月のご挨拶でお電話くださったのだし、無碍に電話を切るのも忍びない。とはいえ、話が年金とか、老後の資金とか、自分はもう早く死んだほうが娘たちのためになるとか、いつ死んでもいいと思っているの、もう思い残すことはないわとか、そんな話になった時、わたしは「あ、これは、わたしが聞かなくてもいい話だ」と思った。わたしとこの人は、生きているペースが違う。ずっと仲良くしてもらったけれど、わたしはまだ死にたくないし、自分のムスメがまだ成人していないので、これからも考えるべきことは山ほどある。それを「いつ死んでもいい」サイドに思考を引っ張られては心が病む。

そこにきて「この話はもうしたかしら?」と始まった話題は、『人間関係の断捨離』である。「年末にね、友人知人の名前を全部書き出して、先の短い人生、もうこの人とのお付き合いはしなくてもいいかな、って思う人を決めたの」と言う。なるほど、と相槌を打ちながら、わたしは心の中で、『正直なところわたしもそのリストに入れてもらってもいいです』と思った。しかし次の瞬間、思い直した。この人には並々ならぬ恩がある。だから、そんなことは考えてはダメだ。

ただ、早く死んだ方が家族のためとか、世の中がどんどん悪くなっているのだから、長く生きていても仕方ないとか、そんな考えをお正月の三ヶ日からわたしに唱えるのはやめて欲しかった。ふと時計を見ると、ムスメを迎えにいく時間になろうとしていた。

いま、ムスメが出かけているんですけど、そろそろ駅まで迎えに行かないといけないので、と言ったら、「まあ、それは大変。おじゃましました。またね。近いうちに飲みに行きましょうね」と、電話が切れた。

1月4日の午前11時。またもやその人から電話があった。なんだろう?年始の挨拶は一昨日済ませたしな、と出てみると「あ、どうも〜。〇〇です〜!」とすごく明るい声がした。ははあ、これはお正月だから朝からお酒を飲んでいるのだな。そして次の瞬間、衝撃の言葉を聞いた。
「明けましておめでとう、って言っていいのかな?ご不幸があったのはいつだったかしら。ここ数年、周りの人がどんどん亡くなるから、どなたが喪中で、どなたがそうでないのかがわからなくなっているの」一昨日と全く同じだった。ということはつまり、一昨日のわたしの30分間は、この人の記憶から滑り落ちて、完全に溶けていたのだ。あの時も酔っていたのだろう。しっかりハキハキ話していたので、わたしはそれに気づかなかったのだ。

これって、全く同じ話がもう一回始まるのか、と思ったら怒りを超えて悲しくなってきた。次の話は予測できる。「娘がおせちを作ってくれたので、今年は楽なお正月だったわ」そして「もう歳だから、いつ死んでもいいと思ってるのよ」。いっそ、たっぷり話を聞いて、意地悪く最後の最後に「それ、一昨日も聞きましたよ」と言ってもいいか、という考えが頭をよぎった。いやダメだ。相手は「あら!そうだったの?」と笑って終わりだし、わたし自身の時間が、ここから全くもって台無しになる。怒りを増幅し、不満を持続するだけの時間。不毛だ。もうこれ以上、わたしは時間を溶かしてはいけないし、心を波立たせてはいけない。わたしは自分のためだけに生きているのではないが、自分を守ることも必要だ。
「すみません、今日はちょっと都合が悪くて、ゆっくりお話しする時間がなくて」と言って電話を切った。

今年は、人との縁は大切にしつつ、時間も大事にする一年にしようと思う。


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