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さいごの

お別れに行ってきた。ムスメの小・中学校での同級生のママ。48歳。若い。若すぎる。

一番最初に言葉を交わしたのは、ムスメが小学校1年生の時だ。授業参観の時、ムスメは机のフックにかけてあるお道具袋が気になって、先生の話に集中できていなかった。袋の中を覗いたり、手を突っ込んで何かを確かめたり、とにかく親としてはハラハラしたし、恥ずかしい気持ちになっていた。
その時、彼女がささやくように声をかけてきた。
「気になるでしょ。わかります。でもね、だーれも、気にしてないから。心配いらないよ。気になっているのは親だけ。」そう言って、ふふふと笑った。
わたしは「あ…そうなんですね」と照れ笑いで返す。彼女は「うちもね、ほら、あの子なんだけど、気になって気になって」と、小さく指差した先に、やはり先生の話に集中できず、隣の席の子に話しかけている女の子がいた。確かに、わたしにはその子は気にならない。そういうもんか、と思った。

親しくお付き合いをしたわけではないが、PTAや絵本の読み聞かせサークルで、見かけたら挨拶をする程度のことはあった。やがてムスメたちは小学校を卒業し、同じ中学校に進んだが、部活でもクラスでも同じにはならなかったので、特に交流もなかった。

そういえば、小学校の時に一度だけ、ムスメたちがわが家で遊んだことがあった。誰かの送別会だったか、6〜7人やってきて、わーわー騒いでお菓子を食べて帰った。それだけのことだったが、彼女はわざわざお礼を言いに手土産まで持ってきてくれた。
「ありがとう。娘に声をかけてくれて、嬉しかったの。これ良かったら」と、差し出された紙袋には、珍しい海外のお菓子が数点入っていた。
お礼を言うと、「先週まで、フライトでアメリカに行ってたので、そのお土産」とニッコリ笑った。国際線のCAだったのか。お菓子と一緒に、TAZOのチャイが入っていた。「ありがとう。チャイ、大好きなんで嬉しい」とわたしもお礼を言った。

それから2年くらいは会わなかった。ある時、小学校で読み聞かせサークルのOBとしてお手伝いに行ったら、髪を短く切った彼女がいた。
「髪型を変えたのね」と声をかけたら、「ふふふ。これね、ウイッグなのよ。今ね、治療がひと段落したところなの」と、まるでスーパーで安売りしていたから買ったのよ、お得だったわ、みたいな調子で返事が返ってきた。わたしが驚いていると「大丈夫。もう元気だから」とニコニコしていた。

それが、わたしの記憶にある、彼女と交わした最後の会話である。

お土産をもらってから4~5年は経っているのだが、うちの紅茶ストックの缶に、あの時にもらったTAZOのティーバッグが1つだけ残っている。あまりに美味しいから、全部飲み切るのが勿体無くて、1つ残したままにしていたのだ。紅茶を飲むたびにそのティーバッグを見て、あれから元気にしているだろうか、と思ってはいた。でも、自分のことで精一杯で、彼女に声をかけることはしなかった。そして、ここ数ヶ月、暑さや忙しさのせいで、紅茶を飲む気になれず、缶を開けることはなかった。ふと先週、なぜだか紅茶が飲みたくなって、缶を開けてティーバッグを見た時、「あ、そういえば、彼女は元気だろうか?」と思った。もう会うことはないのかな、とも思った。

お通夜の会場は家族葬専用なのか、こじんまりしたところだった。入り口のドアを開けると、目の前に祭壇が見えた。遺影の彼女は微笑んでいた。懐かしい気持ちになって、心の中でお久しぶり、と声をかけた。
お焼香が終わって、閉式ののち、「直接故人様にお別れをされてください」と式場の人が言った。わたしは棺の中の彼女を見た。

別人だった。病と闘って、満身創痍の姿だった。穏やかな表情ではあったが、遺影の彼女の面影はなかった。「おつかれさま。がんばったね」と自然に声が出た。こんなことなら、もっと話す機会があったら良かった、と思った。そうしなかった自分に、歯がゆい気持ちになった。

でも、これからもきっと、誰かと別れる時、そういう気持ちになるのだろう。だから今、ちゃんと話して、ちゃんと笑おう。






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