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飲酒の流儀

今日は飲み会だ。わたしを含め8人が、初めて一緒に飲む。ムスメの部活の保護者会だ。今の3年生が引退したら、わたしたち8人がお世話役を引き継ぐ。始動までには少し時間があるが、その前に親睦を深めようというわけだ。

考えてみたら、このところ「飲み会」だけでなく、お酒を飲む機会がほとんどなくなった。久しぶりに会う友人たちも「飲めないから」とウーロン茶を注文する。酒豪の友人とはなかなか会えないし、会社勤めでもないから、歓迎会も送別会もない。仕事の帰りにちょっと立ち寄ったバーで一杯だけ、みたいな楽しみも、今はもうない。ここ15年は、健康診断の問診票の「習慣的な飲酒」は、「1、しない」に◯だ。

思えば、結婚後も「さあ、飲め飲め」と勧めてくれていたのは、お義父さんだけだった。お義父さんは、お酒が大好きで5合瓶なら翌朝まで残すことはなかった。焼酎よりも日本酒が好きで、辛口よりも甘口が好み。酔うと陽気に歌をうたって、息子たちと遅くまで話し込んだ。お盆やお正月、家族が集まるときはみんなお酒を持ち寄った。お義父さんは、どれから飲もうかな、と楽しげにラベルを眺めて「よし、今日はこれだ」とコップを用意した。

一方、わたしの実家は、ほとんどお酒を飲まない家族で、いただきものの洋酒を長い間、床下の食品庫に寝かせていた。あるとき、「これ、飲むなら持って帰っていいよ」と、渡されたのがVSOPというブランデーだった。それをオットの実家に持っていき「今日はこれを飲んでみようよ」とオットが封を切ろうとしたとき、「待て」とお義父さんが止めた。「それはいい酒だから、なにかめでたいことがあった時に飲もうや」。

それから半年も経たず、お義父さんは病に倒れた。入院中に欲しがったのは、お茶だった。酒の「さ」の字も言わなかった。そしてお義父さんは、それから1年も経たずに鬼籍に入った。生前「死んだらそれまでよ。俺は好きなものだけを食べて、飲むぞ。」と言いながら、わっはっはと笑っていたが、最後は好みの食事もできず、お酒も飲めず、旅立った。
あれから5年が過ぎたが、未だにVSOPは仏壇の脇に未開封のまま、置かれている。

わたしは結婚してからずっと、お酒を飲む時に「これ飲んで、大丈夫かな。明日、起きられるかな。ムスメに何かあっても、運転ができなくなるけど、本当にいいのかな。」と考えてしまって、楽しくない。家で飲んでも後片付けをする余力を残さねばならないし、外で飲んでも帰宅時間を気にしなければならない。独身の時みたいに、自分のことだけ心配していればいい立場ではなくなっている。そう思うと、お義父さんの「飲め飲め」は、主婦への労いでもあり、みんなで一緒に楽しく過ごそう、という誘いだったのだろう。
「他人は気にせず、今を楽しめ。」そんなふうに思ってくれていたのではないだろうか。

よし。夕食は用意した。お風呂も掃除した。noteも今から投稿する。今日やるべきことは済んだので、気にせず飲んでいい、はずだ。



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