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水ぎらい

わたしが子どもの頃、浴槽は木製だった。数枚の板が金属製の箍(タガ)で止められていて、大きな桶のようだった。その浴槽に鉄製の風呂釜が取り付けられた形で、屋外で火をくべて湯を沸かした。燃料は枯れ木か石炭だったと思う。祖母が薪を割っている様子も覚えている。当時、平屋の市営住宅に住んでいたが、近所にはガスでお風呂を沸かす家もあったから、樹脂製の風呂桶に移行する過渡期だったのだろう。

その木製の浴槽は、子どもだったから大きく感じたけれど、おそらく大人は一人しか入れなかったはずだ。ある日、風呂桶に水が満々と張られていて、洗面器が浮いていた。まだ幼稚園にも入っていなかった頃のわたしは、ちょっと押すと、ついーっと洗面器が動くのが面白くて、何度も洗面器をつついて遊んでいた。ところが、手が届かないところまで洗面器が逃げてしまった。身を乗り出したわたしは洗面器を取ろうとしたのだが、次の瞬間、澄んだ水の中にくっきりと木目が見え、風呂の底がどんどん近づいてきた。

目が覚めたら、母がわたしを覗き込んでいた。今度は天井の木目が見えた。開け放った掃き出し窓の向こうから、隣のおじさんが「気がついたかね?」と声をかけてきた。詳細はわからないが、わたしの記憶では、縁側の向こうに明るい庭が見え、眩しかったように思う。母は、「ありがとうございました」とお礼を言い、おじさんは「よかったよかった」と言って帰っていった。当時の母は、30歳手前だった。父は仕事で留守にしていたはずだから、きっと心細かっただろう。

それがきっかけかどうかはわからないが、わたしは水が苦手だ。それなのに、夢でよく水辺が出てくる。ここを通らないといけない、という場所に水が満々と横たわり、あるいは深々と待ち構えており、行く手を阻む。そういう時は、たいてい誰かに追われている。その場をどう切り抜けるかの選択を迫られるが、足がすくむ。

高いところが苦手な人がいるように、わたしは水が溜まっているところが苦手なのだ。いつかスイスイと泳げるようになりたいと思いながら、プールにいく勇気が出ないまま、この歳になってしまった。なぜならプールも怖いからだ。特に、排水溝が恐ろしい。あの、真っ暗な穴の向こうに吸い込まれてしまったら、もう生きては帰れないだろう。映画「ホワイトアウト」で織田裕二が黒部ダムの排水溝から脱出を試みて、成功するくだりがあるが、あんなことは可能なんだろうか。この頃は、ネットをウロウロしていると「湖に空いた穴の行方は?」という画像がちょいちょい出てくる。あの画像を拡散している誰かが恨めしい。

さらに、水の中に入った時の、音が遮断される感じも怖い。「グランブルー」で、主人公たちが深々と潜っていった時も、「海猿」で海上保安庁の人たちが訓練する時も、「ああ、もう、勘弁してください」と思いながら観た。競泳はもとより、シンクロナイズドスイミングや高飛び込みをする人たちとは、きっと話が通じない。

水は命の源であることはわかっているが、それでもやっぱり、苦手なものは苦手なのだ。




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