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ドラマの最終回

もう、ドラマの最終回は「自分はここで死んだ」と思うことにした。

海外ドラマに多い「シリーズもの」は、次のシーズンに向けて、余韻というか含みを持たせた終わり方になることが多い。本当に、その時点で「最終回」とは思えないシーンで終わり、「そりゃないでしょ」と、わたしはテレビの前で脱力する。予告で「次回、シーズン2がスタート!」とか言ってくれればいいが、全く音沙汰なしの場合も多い。アリシアの家族はどうなる?!ショーン・マーフィはちゃんと医者になれるのか?!モース刑事は結婚できるの?!
彼らの人生は進むが、わたしはそれを見ることができない。

これ、死ぬことに似ているかも、と思った。本や映画やドラマと並走しているわたしの人生が「え?ここ?」という場面で最終回になる。シリーズだろうが、単発ものだろうが、そのドラマの中に生きる人たちは自分とは違う世界で生き続け、わたしはここでお別れ。いくら「続きが見たい」と思っても、わたしは死ぬんだから仕方ない。はい、それまでよ。

そう考えたら、最近よくある「最終回が消化不良」とか、さらに「有料サイトで完結編」などは、「ここで死んだんだ」とか「他人の人生」と考えれば腹も立たない。残念だな、とは思うけれど。

本もドラマも映画も、全て「他人の人生」を覗き見している、と思えばいいじゃないか。続きが見たいと思っても、わたしはそこで死ぬのだから、その先はわからないのだ。そしてまた、生まれ変わったわたしは、別の人たちの人生を眺め、共感し、立腹し、涙する。

いつまでもあの話の続きはどうなったのかと思い続けたり、想像し続けるのは、成仏できない地縛霊になったのと同じ。それも悪くはないんだけど。ちょっとググったら、気になるドラマはシーズン7まである。いつか見ることもあるだろう。それまで地縛霊になって、待つこととする。



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