見出し画像

もやしのひげ

給料日前に活躍するのは「もやし」だ。サッと茹でて、ナムルにしてもいいし、ひき肉と一緒に炒めてもよし。インスタントラーメンに入れると、ほんのちょっとだけ、リッチな気分になる。今日は、公民館でゴーヤをもらった。グリーンカーテンにたくさんぶらさがっていたのを「持って帰って〜」と分けてくれた。もやしと豆腐とゴーヤでチャンプルーを作った。

わたしが実家にいたころ、母は「もやし買ってきて」と言うと、すぐに「あ、根切りもやしね」と付け加えた。母は「根があると口当たりが悪い。ない方が見た目もいい。」と言っていた。いつのまにかわたしも「もやしの根は取るもの」と思っていた。

ところが、結婚してお義母さんと料理をする機会が増えたら、状況が変わった。もやしの根を取っていたら「ひげは取らなくていいよ。あたしは今まで、ひげを取ったことなんかないわよ。それも栄養の一部よ」と、むしろ「取るな」と言わんばかりの圧を感じた。「あ、でも…」と、作業を続けようとしたら、「いいって、いいって。そのまま使いなさい」と言うのだ。根をひげと呼ぶのも、取るなと言われたことも新鮮だった。それがこの家のルールなら、従うしかあるまい。それで、お義母さんのいるところでは「ひげ」は取らないことにした。

たったそれだけのことなのに、もやしの根を取るときにはあの時の雰囲気をありありと思い出す。わずかばかりだが、怒りを含んだきっぱりとした口調。この家の台所はわたしがルールなのだという、言外の言だ。

その数年後、義実家の台所で、お義姉さんが「もやしの根は取る派?そのまま派?」と聞いてきた。ははあ、同じ道を通ったのだな、と思った。「わたしは取りたいんですよねえ」とつぶやいていたので、そうだろうそうだろう、と思いつつ「まあ、郷に入りては郷に従えですな」とささやいた。

この15年間、『嫁と姑の諍い』みたいなドラマチックな展開は全くないが、小さい「?」は、やっぱりあって、お義母さんには洗濯物を干す時の順番がある。使った後の水道のカランの向きが決まっている。炊事が終わったら給湯器のスイッチを間髪入れずに消す。言われる前にやっておかないと必ず言われるから、わたしは生活指導の先生に呼び止められたような気分になる。

普段は全くのんびりしたお義母さんで、わたしにも好意的だと思う。だけど、その3点と、「もやしのひげ」については、きっと譲れないのだろう。
そんなことを考えながらもやしの根をとって、あり合わせの材料で夕食を作る。

明日は給料日。なんとか乗り切れてよかったなあ。

サポートいただけたら、次の記事のネタ探しに使わせていただきます。