うらない

民放の番組で占い師がタレントや俳優を占っていく、というのがある。あの番組で面白いなあと思うのは、未来の話よりも過去の話の方が長いことだ。そして、みんな「当たってる」と言う。過去のことが当たるから、きっと未来についても信憑性が生まれてくるのだろう。

わが家には神秘的なものを全く信じない人がいて、彼は「リサーチに決まってるじゃん」と言う。さらに「これがエンタメコンテンツってやつだ」と分かったような口をきく。いや、わかっているんだろうけれども。

わたしは目に見えないものを信じているので、占いもまた「なるほど」と思って見てしまう。行ったことのない家の置物まで当ててしまうあの占い師の人たちに、わたしの2021年3月について訊いてみたい。なんだこれ、という怒涛の日々と、めった刺しとも言えるメンタルへの負担。それもまあ、運命とか、ナントカの星とか、そういう流れなんだろう。

昨日、とあるバス停で降りたら、目の前に葬祭場があった。葬祭場の横に「霊視・運命鑑定」の看板があった。その辺りには、市の火葬場があり、葬祭場がいくつか集まっている。身近な人を亡くした直後にこの看板を見たら、「あの人はどうしているんだろう」とか「あの人はなぜ亡くなったのだろう」とか、見てもらいにいきたくなるのかもしれない。

テレビの占い師は、ある程度有名な人を見ているから、リサーチだと思われても仕方ないところはある。でも、市井の占い師や霊視をする人は、初対面の一般人を見るわけだから、リサーチはできないだろう。顧客満足度はどうやって測るのだろう。

「〇〇の母」と呼ばれる占い師は大きめの街には必ずいるんじゃないかと思う。まだ20代の頃、会社の同僚に「彼氏との相性を占ってもらいたいから、一緒に来てください」と頼み込まれて、興味本位でついて行った。夜の天神である。しかし「天神の母」は、とにかく長蛇の列で、テーマパークの人気アトラクションなみに若い女性やカップルが並んでいた。見てもらうまでにかなり待つようだ。彼女は辛抱できなかったらしく「西通りの方で見てもらいます」と言って、別の母のところに行った。そこはそこでちょっと人が並んでいたが、待てないほどではなかった。まず、彼女が見てもらい「その彼氏とはあまり長くないわよ」と言われているのを横で聞いた。

せっかくだから見てもらったらと彼女に言われて、わたしも手相を見てもらった。生年月日も言った。「あら、あなた。いいわね。これは、いい手相よ。彼氏はいるの?」と聞かれて「いないです」と答えると、その人は「ふーん。なるほどね。あなた、その歯並びを直したら、運気が上がるわよ」と言った。歯並びですか。わたしは歯列矯正を考えていたので、驚いた。「それとね、あなた、わたしの先生に見てもらわない?もっと詳しく、もっと運気が上がるお話をしてくれるわよ。あなた、きっと天下を取れるわよ」と電話番号の書かれた紙を差し出した。「明日の昼間、ここに電話してね」。

「天下を取る」とはどういう意味だろう。若いわたしは律儀にも、翌日その番号に電話をした。昨日の女性が電話に出て、「あなた、占いをやってみない?向いていると思うのよ。昨日、手相を見せてもらってピンと来たの」と言った。これはスカウトなの?誰かからあなたには才能があると言われるなんて、めったにないことだ。「今、働いているので、占い師になるわけには…」と言いかけたら、「いいのよ、お仕事帰りに勉強してみない?先生を紹介するわ。そして、運気が上がる印鑑を持てば…」と、そこまで聞いて、わたしは「あ、要りません」と電話を切った。

これまで数々の勧誘とか詐欺まがいのことに遭遇してきたことを考えると、わたしはそういう星のもとに生まれているのだろう。あの占い師もまた、見る目はあったのだとは思う。

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