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くさじる

レモングラスを栽培している。というか、株を一つ買ってきて地植えして置いただけ。生命力が強く、毎年毎年、春先から晩秋まで藪のように繁る。
あまりに繁るので、定期的に刈っては友人知人にばらまいている。
「フレッシュのままお茶にしてもいいし、乾燥させて保存してもいい。飲んでもいいけど、お風呂に入れてもいい」と説明して渡す。

毎回、すごく喜んでくれる人が2人いて、1人は「ありがとう!幸せなお風呂だった」と返事をくれる。もう1人は「今回も、うちのネコたちが大喜びだったよ」と返事をくれる。なぜかネコたちはレモングラスを食べるらしい。

わが家では、数年前オットに勧めてみたら一口飲んで「ぐえっ。ぶばばばげほぐわ」みたいな音を出しながら吐き出した。「なんだこのまずい草汁は。俺を騙したな」と言い捨てて、それ以来、二度と口にしない。

だからいつも、わたしは1人でレモングラスティーを楽しむ。今回はレモングラスと生姜スライスをお湯で煮出し、ハチミツを加えてみた。レモングラスの爽やかな香り、生姜のスパイシーな風味、そしてハチミツの優しい甘み。うまーい。これなら飲めるのでは?と、隣でボリボリとトルティアチップスを食べているオットに勧めたら「そんなネコのおしっこのかかったような草汁が飲めるか」と見向きもしない。性懲りもなく勧めたわたしがバカだった。カフェオレボウルになみなみと注いで1人で飲んだ。

レモングラスティーには思い出がある。わたしが30代後半の頃。当時、ひどく胃を痛めていた。日常の心労が半端なく、いつもヨレヨレになっていた。(考えてみたら、わたしはいつでもヨレヨレだ)
それを見かねた派遣仲間の先輩が、「あなた胃が痛いっていつも言っているから、コーヒーや紅茶ではなくて、これを飲んでみて」とレモングラスティーを淹れてくれた。湯呑みにゆっくりと注がれたお茶を「さあどうぞ」と勧めてくれる。初めて飲むレモングラスティーは、緑がかった明るい黄色で、きれいだなと思った。口に含むと爽やかな香りがスッと鼻に抜けた。

「胃に優しくて、リラックスできるそうよ。お家でも飲んでみてね」と、お茶の袋ごとくださって、先輩は休憩室を出て行った。わたしはお礼を言って、ゆっくりとそのお茶を楽しんだ。胃が温まり、気持ちもほぐれた。そしてすぐに、言いようもないほどの睡魔に襲われた。眠気に抗ってなんとか立とうとするのだが、もう足に力が入らない。一服盛られたのかと思うくらいの威力だ。そのままわたしは休憩室のイスで昼休みが終わるまで爆睡したのである。いや、昼休みはとっくに終わっていた。

「大丈夫?起きて」と声がして、わたしはようやく目が覚めた。「戻ってこないからどうしたのかと思って」と、別の同僚に声をかけられた。先輩は午前のシフトが終わって、もう帰っていた。わたしは狐につままれたような気分で午後の仕事をした。気分がスッキリして、もう胃は痛くない。

今、レモングラスティーを飲んでも、あんな睡魔には襲われない。庭のレモングラスを眺めながら、あれはなんだったんだろうかと時々思う。派遣の仕事は入れ替わりが激しく、その先輩は直後に移動になり、もう会うことがなかった。


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