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たこつぼの中の院生が「サラダボウル」に飛び込んでみたら〜私とLab⑤〜

進路

それは人生の分岐点につきまとう言葉である。特に、学校を卒業するときにその言葉は頻出する。そして大人になると、「キャリア」という言葉に変わる。

私、ゆーみるしーは博士課程に在籍する大学院生だ。博士課程修了が視野に入ってきた2019年、そろそろ真面目に今後のことを考えなきゃなあ、と思い始めていた。博士課程を卒業するための最終試験が終わった今、2020年に共同主催したキャリアイベントについて振り返ってみたいと思う。


「進」む「路」をどうしよう

さて、進路といえば思い出すのは、中学や高校の「進路指導」だ。高校までは「進路指導調査」なるものがあって、自分がどの道に進むかを半ば強制的に考えさせられていた。

基本的に行き当たりばったりで生きてきた私なので、そういったイベントがなくなった途端、先のことをあまり考えなくなった。もちろん、大学院進学や博士課程に進む際には考えてはいたけれど、前々から計画を立てて進んできたわけではなく、「なんとなく面白そう」な方に進んできただけだった。もし人生計画を立てていたら、学部時代の専門である化学から大学院で進路変更して物理に進んでいない。

大学院に進んでからは目の前のことに必死だったので、なおさら先のことを考えていなかった。そんなわけで、2019年はなんとな〜く「卒業後どうしようかな〜」を考え始めた年であった。

普通博士課程を卒業したら研究者になるんじゃないの?と思われるかもしれない。それは王道なのだけれど、私は他にもっとやりたいことが多すぎたので違う路を進もうと思っていた。その時に考えていたのはこんなこと。

イベントスライドより

とは言ったものの、目指す仕事がどんなものかは全く想像がついていなかった。例えば、薬剤師として働きたいから薬局なり大学病院なりを就職先として探す、というのであればわかりやすい。しかし、私がやりたいことをすべて実現する職は、少なくとも私の知る限りではなかった。

王道ではない路を進もうと思っていた私は、まあ迷子になっていた。

研究者、音楽家、スポーツ業界で共通するもの?

そんなとき、なんのきっかけだったか忘れてしまったのだけれど、ユーフォニアム奏者である鴇田先生とキャリアの話になった。確か2019年の終わり頃、当時Tsukuba Place Lab(以下Lab)にあったこたつに入りながら雑談をしていた時だと思う。

研究者の世界は、キャリアが不透明と言われる。大学院を卒業してもすぐに大学の先生になれるわけではなく、ポスドクと呼ばれる任期つきの職に着きながら次の職を探す。つまり、3~5年くらいで職を転々とする上、いつ任期なしの職につけるかわからない。この不安定さも、研究者の路を選ばなかった理由のひとつだ。

音楽の世界も似たようなものらしい。音大を出て、例えばオーケストラに入りたいと思っても、なかなか席が空かないのだそう。そのとき、

研究者と音楽家のキャリアの悩みって似てるのかな?

という疑問に行き着いた。研究者と音楽家は、ある分野を極めた人、「専門」と呼べるものを持った人、と括れそうだ。じゃあ専門家のキャリアってどうなんだろう。そうして鴇田先生の発案でキャリアについて考えてみるイベントを企画してみようということになった。

さらに、当時サッカーコーチとして働くことが決まっていた板谷隼にも声をかけた。隼もLabで出会った友人のひとりだ。職の不安定性という意味ではスポーツ業界も同じらしく、スポーツコーチは単年契約の業務委託であるケースも多いのだそうだ。

違う分野でこんなに共通点や似た悩みを持つ人がいるとは思わなかった。自分の想像の外にあるものは人に会わないとわからないものだ。かくして、科学、音楽、スポーツを専門とする3人が集まった。

イベント「専門性を生かしたキャリアを考える」

イベント内容の詳細は以下を参照いただきたい。ざっくり言うと、私、鴇田先生、隼が自分のキャリアへの考え方をシェアしたあと、参加者も含めざっくばらんにディスカッションをする、という内容だった。

ふわっと「専門性を生かしたい」と思いつつ、悩んでいた私だったけれど、確実にこのイベントで解像度が上がった。

私、鴇田先生、隼に共通するものは「専門×教育」に興味があることだった。教育、という意味は、学校などで教えるということではなく、その分野について専門外の人にも知ってもらいたいという「思い」があることだ。

鴇田先生は、「茨城おとのわプロジェクト」という「演奏家と地域の場をつなぎ、誰もが生の音楽に触れることができる」音楽体験を提供する活動をしている。その活動の一環として、Labで合唱を教えてくれた。参加者は全員素人だったけれど、鴇田先生が教えてくれたちょっとのコツで声がよく出るようになった。もともと音楽は好きだったけれど、上手に歌えるようになると一層楽しさが増した。

サッカーコーチ隼は、「ホーリーホックおとな部」という、サッカーが素人の大人もサッカーを体験できるイベントを立ち上げた。運動音痴な私もこのイベントに参加してみたけれど、人生初のゴールを決めることができた。隼に出会わなければ、ぜんぜんサッカーやってみようとは思わなかったけど、想像以上に楽しかった。

私はまだこれ!といった自分の「科学×教育」の活動を持っていないけれど、鴇田先生の歩んだ路、隼の開拓した路、そして参加者とのディスカッションは、私の「キャリア」の考え方に確実に影響を与えた。

タコつぼに囚われたタコ、サラダになる

そんなことを考えていたら、大学院入学のときに、「研究者はたこつぼ型に陥りやすい」という話を聞いたことを思い出した。「たこつぼ型」というのは、研究者は専門に特化しすぎて、他の分野に対しての知識が少なくなってしまいがち、ということである。

私はいろんなことに興味があるし、そんなことにはならないだろうと思っていた。実際、研究内容以外のゼミに出たり、そんなに専門と遠くはなかったものの、ラボローテーションと呼ばれる、別の研究室に修行に出る授業を取ったりした。

しかし、それは所詮学問の世界のことにとどまった話だった。

Labに行くようになってから、ぜんぜん違う専門を持って、ぜんぜん違うキャリアを歩んできた人たちと出会った。それは、普通に大学院で研究だけしていたら出会わなかった人たちだ。Labはつくばで一番、多種多様な人種が集まっている場所のように思う。

最近はそういうのを「サラダボウル」と呼ぶらしい。「人種のるつぼ」が、多様な人種が混じり合って一つの文化をつくるイメージなのに対し、サラダボウルは、それぞれの文化が混じり合うことなく共存しているというイメージらしい。まさにLabにぴったりじゃないか。そう思うと、Labスタッフはゆるく野菜たちをつなぐドレッシングのようなものかも。

つくばのサラダボウルたるLabに飛び込んでいったら、いかに自分がたこつぼの中にいたかが分かったのだ。

「進」むのは、「陸路」か「空路」か「航路」か

たこつぼの中に留まっていたとしたら、私の「進路」は大学の研究者か、会社に入って研究者をやるか、そこからちょっと外れたとしても科学館でサイエンスコミュニケータをやるか…と言ったところだったろうと思う。

けれどそれは「研究」という路を歩いて進むか、セグウェイで進むか、一本横道を進むか、くらいの違いであって、上空から広い目で見たら、たいして違うものではない

これまで陸路を歩いてきたからといって、これからも陸路を進み続けなければならないわけではないし、同じ路を歩く必要もない。まったく別の道を進んだっていいし、飛行機を使ったり船を使ったりして、空や海に飛び出してもいい。

Labで他の分野の専門を持つ人たちとつながってキャリアイベントをやったら、足元ばかり見ていた私を俯瞰して見られた気がした。

果たして私が進むのはどの路だろうか。これからの私に期待しておいてください。


この連載は「Tsukuba Place Lab」で私がやってきたことのまとめ兼Tsukuba Place Labの宣伝記事です。この記事を読んでLabに興味を持った方は是非足を踏み入れてみてください。
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