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サッカーボールは友達じゃない


 男はビール1パイント分のお金を小銭入れからジャリッと掴み取って机の上に置くと、店を後にして遠くまで続く長い夜に向けて車を走らせた。

 ラジオをつけて、さっき店で途中まで見ていたサッカーの試合にチャンネルを合わせる。後半も差し掛かり、男の応援するユナイテッドは逆転劇を決めてから下手をすると3点目を取るのではないかという勢いだ。

 久々の勝利の味。その最後の笛が鳴るまでは是が非でも見届けていたかったが、あんな奴がいるハブには戻る気にもなれない。全く誰が今どき「マンU」だなんて言いやがる。俺たちはどんな時も「*ドイツの土のManUre(肥料)」になった覚えなんてない!

 生まれて初めて父親に肩車をされながらオールド・トラッフォードでジョージ・ベストを見たあの優勝の年から、男の人生はずっとユナイテッドを中心に回っていた。

 それにしても君を疑って悪かった、ジョゼ。勝利はすべてを良い方向に運んでくれる。男がそう思った矢先だった。

 ロスタイム、終了間際、チェルシーのロス・バークリーが同点弾を叩き込む。信じられない事態だった。眼の前が光に覆われて何も見えなくなる。突然のクラッシュ。


 女はいらついている。煙草はやめたと息子に言ったことはもちろん忘れていない。毎週日曜日には心の底からそう言っているし、それに今日はまだ土曜日だ。

 3日前まで禁煙していた煙草に火をつけると、こんなはずじゃなかったと首を横に振って信号が青になるよりも早くアクセルに足を置く。

 パブリックスクール(イギリスではプライベートスクールのトップ10%のエリート校のことで、公立校ではない)を出て、弁護士の夫と2人の息子と夢のカントリーサイド。そこまでは順調だった。

 まるで世界の終わりのようにじわじわと、家族の崩壊はまず天井の雨漏りから始まった。

 家を出たのは女と下の方の息子の2人で、この街に戻ってきて1年半が経ってしまっていた。女にはサッカーにもマンUなんかにもこれっぽちも興味がなかったから、マンチェスターの魅力など1つもわからなかった。

 自分がどこにいるのかもわからなくなって、その一瞬に関しては本当に信号の青と赤もわからなくなってしまっていた。眼の前が光に覆われて何も見えなくなる。突然のクラッシュ。

 2台の車がそれぞれに鈍く重い衝撃を与え、ガラスが飛び散る。マンチェスターの交差点は伸びてしまって、運転手はお互いの驚きの表情に釘付けになり、長い間、それぞれの時間は交差してしまった。

 違う次元、違う世界の2つが、その質量は車以上に重くのしかかって、重なった。


 交通事故なんて毎回起こしてたら命が何個あっても足りないからできれば避けたいものだ。

 僕たちには、それぞれの人生をぶつけるだけのコンタクト(接触)の機会がないから、たかが言葉ほどの代物でしか対話できない。

 そうでもないか。

 親はキャッチボールで子の球を受けて、その成長を感じることだってできる。同じように考えたら、サッカーほどコンタクトの激しいものはないよなと思う。

 出すパスには膨大な量のメッセージが詰まっている。パス1つが人生とも言える。その質量と質量のぶつかり合いこそは、サッカーが人々を魅了する何かと言えるものかもしれない。

 どんなアイデンティティーを持つ人であれ、ボール1つがつないでいく。それぞれの人生を。違う次元、違う世界で生きていた人々を。

 サッカーボールは友達じゃないな、友達なのはボールを蹴ったあいつだ。

 きみはそれを受け取るか。



*本来、マンUはマンチェスターユナイテッドの蔑称。1958年にミュンヘンで飛行機に乗っていたマンチェスターユナイテッドの選手たちが事故でほとんど死亡してしまったことから。



#サッカー
#FOOTBALL
#コンタクト
#対話

 

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