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川の流れのように


 先週末の試合の映像をみんなで見ている。

 今では試合をビデオで記録することは当たり前になっているから、どこのチームもよくやる試合の振り返りの風景だ。

 狭くて煩雑とした食堂にみんなが集まって、椅子でも給水用のタンクでもお構いなしに席についてテレビ画面を見ている。特に、この間の試合は内容も結果も思い通りのものではなかったこともあって、どうしたらいいものかと思い悩む眼差し、耳に届かないほどのため息、そんなものが空気を支配していた。

 こういう時には諦めにも近い不信感が生まれるものだ。まるで自分たちがやってきたことが全て否定されたような。負けとはそういうものだ。

 起こること全てには原因があって、何かを変えなければいけないし、しかし実際は何から手をつけたらいいかわからないほどだ。あるいはきっと、取り組むべき問題は全部なのだ。

 問題は常に自分たちにあった。いつもチームの浮き沈みを見てきて、かつての偉大な先輩が遺したレガシーを、僕たちは知っていた。今だからこそ、それを下級生にも伝えなければいけない。

 大学サッカーというのは、当然のことながら上から下まで4年間という歴史の違いがあり、組織を先導するトップは毎年変わっていく。チームは生き物であり、とめどなく流れる川だ。

 4年間の思いを熱く語っている先輩、走るその背中は後輩たちの目にはどう映っているのだろうか。

 ふいに、人は育てられた環境や文化、風土によって脳みそから骨の髄まで形作られていること、そして誰一人として同じバックボーンを持っていないという、つい今この瞬間まで忘れ去られていた当然の事実が思い起こされた。

 その後輩たちの目を見て、僕たちは呆然としてしまう。あるいは恐れた、若者の目を。

 何一つとして伝わっていない。そもそも僕たちが見ている問題だって同じようには見えていない。きっと僕たちは分かり合えない。

 同じように僕は、かつて先輩が自分に対して同じ恐怖感を感じたのではないかともっと恐ろしくなってしまう。

 4年もあれば世代が変わる。もしかすると今は時代が変わる、そんな境界に立っているのかもしれない。テクノロジーの世紀には、いつも新しい価値観が生まれ、僕たちもきっと新しく生まれてくる世代のことは分からない。そして、川の流れは二度と消えることなく、後戻りすることもない。

 それでも川は流れなければ汚れてしまう。

 僕たちにできるのは、せいぜいその流れを止めないことだけだ。

 それでもその流れる先に何があるのか見たいと思うのだ。自分たちが日々足掻いているその先に、大きな海が広がっているのか。罪なきその海はどこまでも自由に広がっているのだろうか。

 せめてその片隅には、かつて必死に生きた誰かの記憶が残っていてほしいと思う。






#サッカー
#FOOTBALL
#川


スペイン1部でプロサッカー選手になることを目指してます。 応援してくださいって言うのはダサいので、文章気に入ってくれたらスキか拡散お願いします! それ以外にも、仕事の話でも遊びの話でもお待ちしてます!