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夢があるなんて夢がないね。


 文章を書いている時に好きなのは、このキーボードに触れている指の感覚だ。あるいは、鉛筆越しに伝わる紙の材質。音に、時間の流れ、脈打つ心臓と揺れる空気はまるであの夏の海の波のように、寄せては離れ、遠ざかっては近づいて、途切れることもない。

 感覚的なものの世界に魅せられているのは、今に始まったことではないのだが、それを言語化しようなどとは何とも野暮だ。なぜ、サッカーをそれほどに好きで、今もやめられないのかについて説明しろというのか?

 答えを求められるのはいつの時代からか、そもそも僕たちには縁遠い代物で、それは牛肉をパンで挟む食べ物を売るMのロゴやらと共に海を渡ってきた。

 今や世界は2つの項に分断することができる。もちろん、それはまやかしであることを断っておくが。

 例えば、それは砂漠の中で右か左かを選ぶことが生死を分けるようなところで生きてきた人にとっては非常に重要なことだ。彼らは世界を2つに分けることを執拗に迫られてきた。

 その2つの世界はいつからか片方を、つまり正解はその反対を、不正解にしてしまった。

 持つ者、持たざる者、変わるもの、変わらないもの、知っていること、知らないことがある。プロサッカー選手の私服がかっこいいと言う人がいれば、ダサいと言う人がいる。しかし、それは数の問題ではない。

 もしも、まだ2つの世界で生きているのならば、きみはまだものごとの表層だけ、ビールの泡を舐めただけでその味をわかったつもりでいる。

 帽子のバイザーは、白昼ママチャリでスーパーマーケットを行き来するおばちゃんや、Mの店員が被るもので、若者のファッションになることはないのだろうか。


 人生には、良いこと悪いことの前に、スタイルがある。 

 スタイルは、誰かが決めるものでもなく、いいねの数で作られるものでもない。

 きみには夢がないか?

 いいじゃないか。そんなもの持ってても持ってなくても、うまくいっても、うまくいかなくても。そんなちっぽけなことに左右されなくとも自分の人生を楽しむスタイルを獲得しろ。それは、きみの顔に出ているかもしれないし、どんな音楽を聴き、どんな服を着るかで表現できるかもしれない。そしてもちろん、言葉にしなくてもいい。

 生きるのは簡単だ。求めなければ、どうにでもなるさ。サッカーの試合に勝つように、手段は選ぶな。ただ、ゴールを決めて試合に勝て。

 しかし、僕にそんなつもりはない。試合に勝つかどうかなんて後から考えよう。だから、もしそういう意味で求められているサッカー選手がそうであるならば、僕はサッカー選手をやめよう。

 22人のプレーヤーがいるピッチで、どうサッカーをしたいのか、そしてこの試合にどう勝ちたいのか。それだけが僕の関心事だ。

 きみが与えられた世界でどんなプレーをするのか、それだけを見たいのだ。





#サッカー
#FOOTBALL
#二項対立
#スタイル  

 

スペイン1部でプロサッカー選手になることを目指してます。 応援してくださいって言うのはダサいので、文章気に入ってくれたらスキか拡散お願いします! それ以外にも、仕事の話でも遊びの話でもお待ちしてます!