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卒論インタビュー#4 【#4 若林恵】

「サッカーから実現するコミュニティデザイン」をテーマに、サッカーがもつ可能性を探る。
更に、インタビューを通じて、サッカーの枠を超えて僕たちのこれからについて考えていきたい。


 第4回目は、WIRED編集長を経て、黒鳥社(blkswn publishers)を設立した若林恵さんに話を伺った。

 WIREDをやられていた時から、若林さんと言えばハイテクに精通した未来の語り部的な人として捉えられているイメージ。しかし、実際に若林さんの口から出る話はいつでも、人と人とを繋ぐ、そんなフットボールのようなテーマばかりだ。事務所に着くと、動かない自動ドアを手のひらでこじ開けるようにして中へ招かれた。

 

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若林 恵(わかばやし けい)

 WIRED元編集長。2017年に退任した後、2018年に黒鳥社(blkswn publishers)を設立。様々なメディアの編集を手がけ、音楽ジャーナリストとしても活動。
 著書に、「さよなら未来: エディターズ・クロニクル 2010-2017」。

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目次
・ふんわりと人と繋がる場所
・フェアな社会の実現
・日本でサッカーをガバナンスする
・スポーツと生活
・理想のスタジアムはスタジアムがないこと
・まとめ



ふんわりと人が繋がる場所

篠原力(以下、力):コミュニティデザインというテーマでスタジアムの研究をしているんですけど、なんでこのテーマにしたかと言うと、サッカースタジアムってせっかく人がたくさん集まる場所になっているのにサッカーを見るだけになっているのはもったいないと思ったんです。そこで、もっと人が関わり合っていくようにするにはどうしたらいいかって考えた時に、スタジアムも1つのメディアとして機能する必要があるわけです。

 同じように雑誌や書籍を始めとするメディアに携わっている若林さんは、メディアというものをどのように考えていますか?

若林恵(以下、若):なんつーのかな、まず、ふんわりと人と繋がる場所って必要だと思うわけです。そのふんわりと人と繋がるっていうのが難しいんですが、例えば、世帯収入が3000万円以上で山の手線内に住んでいる人みたいな、いわゆる広告代理店みたいなクラスター分けってのがあるでしょ。そのマーケティングデータ上で浮かび上がった人の群っていうのは、別に実際は何にも繋がってないわけね。その人達は200万円以上の時計を買うよねって話があったとして、じゃあ200万円以上だったら何でも買うんかよって言ったらそうじゃないわけでしょ。で、実際に同じ時計を買った人がいて、「あ!君も同じ時計してるね!」って言う時って、単に「200万円以上の時計買う人ですよね!」って話ではないはずなの。自分と共通の視点とか感覚みたいな、個人に寄り添ったものがあるはずでしょ。そうやって初めて人とゆるやかに繋がることができる。つまり、モノのメディア性っていうのは、何かの価値を発信していて、それいいなって思ったり、自分も関わりたいなって思ったりするようなことが大事なわけで。アップルをなぜ好きで買うんだっけって言った時に、別にこれが一番便利なわけじゃないし、安いわけでもない。それよりもどういう価値をこれは体現してるのかみたいなことが大事なのね。逆にサムスンみたいに経済効率性を重視してるっていうのも一種の価値表現であって、つまりは何を優位に思うかってことで判断が為されてるわけ。だから、あらゆるモノは一種の意志とか、選択とか、決断というものの集積体であって、それをあらゆる人はふんわりと受け取れるんだと思う。

 そういう意味で言うと、建物とか施設っていうのも一種の機能ではあるんだけれども、そこがふんわりと人を束ねるものであるって考えたら、何らかの価値を発信していないと人は束ねられない。そういう空間としてどうデザインできるのかってことが大事なんだと思うのね。

力:そうですね。スタジアムが発信していく価値っていうのは、つまりはコミュニティデザインとなるとデザインしていくために主張があるってことですよね。ただ、同時にデザインしていく上では想定外のことも生まれてきますよね。

若:例えば、Jリーグが立ち上がって面白かったのは、割と早くからチームの個性みたいなのってできるんだよね。チームの個性っていうのもどうやってできるかっていうと、おそらく相当に複雑で。で、実際好きなチームを何を基準にして選んでいるのかって結構複雑なプロセスじゃない。実際、チームの個性って、おそらく最初の段階である程度設計したとしても、例えばサポーターのリーダーのキャラクターによって変わってきたりもするかもしれない。だからある程度までデザインはできるとしても、想定外のお客さんがついちゃったとしても、デザインした側は「いや僕らは当初想定してたのはあんたたちみたいな人じゃないんで。」っていうことはできないし、しても意味がないことだよね。その人たちと自分たちが一心同体なんだっていうことを前提にして、当初のデザインを微妙に変えていく必要があるんだよな。つまり、そういう、まあ、ブランドって言っていいのかな、のデザインって、完全にトップダウンで全て管理できるものではなくて、お客さんや、そのブランドに関わる多種多様な人々との応答の中で、都度答えを見出していくものだと思うので。そのなかで、デザインする主体もそのコミュニティの一部になっていく、というのがあるべき姿なのかな、と。

 ただ、ある程度時間が経って個性が明確になっていくと、今度はコミュニティが排他的になってしまう可能性も出てくるんだと思うのね。って考えると、デザインの仕事っていうのはそこにもうちょっと弾力性をもたせるってことができるのかって話になってくるのかな、と。

 コミュニティのデザインって、そういう意味でいうと、ある程度の閉鎖性をもたせないと求心力をもたないけど、一方で常に新しい人が入ってこれる開放性もつくらなきゃいけない、そのバランスを取り持つということなのかもしれないな。

フェアな社会の実現

力:デザインしていくことの1つに、フェアってことがあると思うんですよね。スタジアムには誰がいてもいいし、何をしてもいい。そもそもサッカーっていうのはボール1つで誰でも自由にプレーできるってフェアにデザインされた競技だと思うんです。

若:サッカーはそこが良いところだよね。

力:そこは大事だと思うんですね。で、社会においてもそれを実現していくために必要なことはなんだと思いますか?

若:たしかに。でも、そのフェアネスは重要であるっていう話は結構難しい問題だとも思うのね。例えば誰でも参加していいじゃないですかっていうのはそりゃそうなんだけど、そうしたときにね「公正さなんかクソ食らえ」って考えてる人たちにも門戸を開くのか?ということはあるわけ。みんなにフェアに、って言ったときの「みんな」に誰が含まれているのか、というね。

 サッカーって理念的には非常にデモクラティックでフェアなゲームだと思うわけ。とはいえ、さっき言ったふんわりした価値観みたいなことで言うとさ、すごい排他性の強いコミュニティができちゃう可能性は結構あって、例えば「うちのクラブの選手は全員日本人じゃないとだめっしょ」ってカルチャーが徐々に育まれていくようなことも出てきたりしちゃうでしょ。いつだかあったじゃない、浦和レッズのサポーターに人種差別的言動があったとして無観客試合になったみたいな(※22014.3.8 J1第2節サガン鳥栖戦で人種差別的な横断幕が貼られた)。ああいう厳しい懲罰を課したのは、ぼくは良い判断だったと思うんだけど、とはいえ考えとかなきゃいけないのはそれ自体が一つの固有の理念の発動だっていうことで、それは、その理念に反対の立場の人を排除することも辞さないという理念なんだよね。それってフェアだと言えるのかどうかということなんだと思うのね。

 民主主義の原則においては原則的に個人が何を思うのも自由だっていうようなことにしてあるので、どんな意見を持つ人に対しても公正でなくてはいけないという原則はあって。つまり、自由というものは誰のためにあるのかっていうと、自分のためにあるんじゃなくて自分と真反対の意見の人のためにこそある、それが民主主義なんだ、っていう考え方ね。みんな自分のための自由は言うんだけど、コトはそんな簡単ではないと思うのね。ドイツに行った時にウニオン・ベルリンっていう市民で運営されているチームがあって、そのスタジアムを見学に行ったときに、フーリガンがどう発生したかっていう話を聞いたんだけど、セリエAがお客さん入らなかった時にいわゆる政治団体とかにチケットばらまいたってことがあって、最初っからフーリガンっていうのは政治集団だったっていうのね。で、ウニオン・ベルリンでも同じように政治的な信条をベースにサポーターが色分けされているというのね。だけど、ウニオン・ベルリンっていうのは市民が自分たちでクラブを運営するんだっていうのをかなり徹底的にやって、ある意味民主性みたいなものをかなりハードコアに追求したクラブなわけ。だから、やっぱり理念上、例えばネオナチの人たちを排除することはできないわけ。ただ彼らと左翼的なサポーター集団とが相対しちゃうと必ず揉めるから、区画を決めちゃうわけね。ネオナチはそこ、って感じで。理念上はベストな解決策ではないかもしれないけれど、現実的な措置ではあるみたいで。

 少なくともサッカーを観てる者としてはさ、一緒の仲間だって思えないもんかよって理念的には思うんだけれども、そうもいかないっていうところが難しいところだから、やっぱり現実的にどう対処していくのかってことなんだと思う。だけど、その時のコンセンサスっていうのは大体のチームとか親会社みたいなのが、うちらはこういう価値観だっていうのがある程度は言語化されていたほうがいい気はする。逆に言うと、自分たちの価値観を世の中に投げ込んでいく1つの基点になるっていう意味で、スポーツチームのファン組織というのは、社会のなかにおいて、大きな影響力を持ちうる重要なものでもあるよね。なにせ人数も多いわけだし。

日本でサッカーをガバナンスする

力:デザインしていくっていうのは、今の話にもあったように現実に実装するってなると、やっぱりそれぞれのコミュニティの事情を鑑みる必要がありますよね。日本についてコミュニティの独自性というところで感じるところはありますか?

若:そうだなー難しいな。サッカーに関しては、協会側がどうデザインしていくかっていうのを割と最初から明確に提示してたじゃない。それこそローカルに根ざしていくとか。だから100年構想とか言ってたけど、時間がかかってもそういうのをちゃんとやっていくという姿勢は、基本は評価するべきかなとは思うかな。それは、結局なんのカウンターだったかと言うと、野球のあり方で。野球は基本的には企業を主体としてやっていく構成になってて、その結果、チームの格差も、リーグの格差もできちゃったでしょ。巨人が9年連続で日本一になり続けるなんて、いまから考えるとおかしいじゃん。自分が子供の頃なんかパ・リーグなんて全くテレビで放映されないし。落合が三冠王を取りましたって新聞とかで読んでも、実際プレーしてる姿なんか見たことないのね。それだけパ・リーグは冷や飯を食わされているようなところがあって、一方で巨人がV9なんてスポーツリーグとしてはすごく不健全な話じゃない。王や長嶋といった選手に国民の多くが夢を託して、みんなで頑張って戦後の日本を作り上げていくなかにおいては、それはそれで必要な夢だったのだろうとは思うけど、ちょっといびつじゃない。

 とはいえ、おそらくどこのスポーツリーグも多かれ少なかれそういうところはあって、それをどういうふうにしていくのが望ましいかっていうのは、これまた難しいよね。ブンデスリーガにおけるバイエルン・ミュンヘンとか、大リーグにおけるヤンキースとか、そういういわゆる名門・常勝チームがあることは、ライトなファンを呼び込むという意味では必要なものかもしれない。エンターテインメントとして見た時にも、強いチームがいてみんなで負かしてやろうみたいな仕組みの方が、おそらく極めて民主的なかたちでチームを横並びにして、今年は誰が勝つのかさっぱりわからないというような状態よりも、ストーリーとしてはわかりやすくなるよね。どのチームも拮抗しているという状況を楽しむには、それなりのリテラシーが必要になると思うから。ハードルが高いんだよね、きっと。なので、リーグ全体の効率性を考えると、1強を常に作り出していくというのも、必ずしも悪いこととはいえない。と言って、リーグ全体がひとつのチームにあまりに依存しちゃうと、そのチームが不調になったら全体もドーンと落ちちゃうし、じゃあそこが弱くならないようにしようってなったら「八百長じゃねえか」みたいな話にもなるので、サステナビリティの観点からしたらどっちがいいんだっけっていう。リーグの運営も自由経済、完全に資本主義にしちゃうと格差が広がるっていうような。といってJリーグの社会主義的な分配制度が全面的にいいのか、ということもあるような。

力:日本はドイツのブンデスリーガに近くて、やっぱりサッカー協会がしっかり頭でコントロールしてるっていうのはありますよね。逆にスペインなんかは、クラブが中心になって地域で独自な発展をしてますよね。それはそれでありかなて。日本でも地域性は強いので、クラブが主導になっていくっていうのもある意味必要だと思うんです。

若:ただ分配されるお金を待っているってだけじゃなくてね。

力:そうです。もっと言えば、それって一市民なんですよね。スタジアムの話に戻すと、デザインしていくのは一個人で、お客さんも観に来るだけでは受け身なままで新しいものを作り出すことにはならないですよね。

若:なるほどね、そうか。例えば、ウニオン・ベルリンでは確か12000人くらいが会員になっていて、その会員が言ってみれば株主なんだよね。だから彼らが経営陣に物申せるようになっていて、そういう仕組みは本当に面白いと思う。彼らはサポーターなんだけど、単にお金を払って試合を見にくる「消費者」ではないんだよね。チームのオーナーでもあるので、当事者性をもったステークホルダーなんだよね。そうやって、サポーターをステークホルダーにしていくということは、コミュニティを設計する上では大事かもしれないね。株を持たせるとか、会員が得ることのできる仮想のトークンを発行して、例えばそのお金をスタジアムの改修に使いますよとか、そんなこともいまなら考えられるよね。おそらく、スタジアムというものを消費空間としてのみ見るというその理解がもう限界なんだよね。つまり、この人達はお客さんじゃなくって一緒にクラブを作っていくコミュニティなんだという発想が必要なのかな、と。

 例えば、スポーツじゃないんだけど、ブルックリンのスーパーマーケット(※パークスロープ・フードコープ)で、いわゆるコーポラティブみたいな形になっていてその会員になった人たちは何かしなきゃいけないわけ。お母さんが昼間にレジ打ちをするとか、デザインの仕事をしてる人がチラシのデザインしますとかって。何らかの参加をします、そしたらそこで安く買い物をできますみたいな仕組みにしてるわけ。ある組織に対するステークホルダーって、株主がいて従業員がいて、消費者、取引先、買い手がいるみたいな区分けになっていて、それが別々に分断されて存在してたわけ。それが、1人の個人は株主でもあるし、従業員でもあるし、客でもあるというふうに、区分が融解していってるんだと思うんだ。クラウドファンディングの考え方って、基本そういうことでしょ。

力:プレーヤーももっと組み込まれてくるんですかね。

若:基本的にはそうだとおもう。ただプレーヤーっていうのは、チームからいなくなる前提だから、ちょっとスタンスが違うかもしれないね。ファンはいなくならないから。

スポーツと生活

力:そうなってくると、今度は逆にスポーツの価値っていうのを考えた時に、じゃあスポーツって由来はなんだって言うと、ラテン語の「デ・ポルターレ」っていうのが語源なんです。これは、「〜から離れていく」っていう意味で、その「〜」っていうのは現実世界とか、

若:日常とか。

力:そうです。で、その日常から離れていくのがスポーツっていう、一応はそういうものが成り立ちとしてあるってした時に、その生活との距離っていうのはどうなるのかな、これから意識していかなければいけないのかなっていうところはあります。

若:うんうん。人の生活っていうのはある種の日常性と非日常性みたいなのがあって、っていうか交互に出てこないと色々しんどいので社会の仕組みの中にそれは埋み込まれるでしょ。20世紀、まあ近代以降っていうのは、ざっくり言うとみんなが労働者になっちゃう社会なんだけど、産業社会における労働者っていうのは自分の時間を切り売りして生きていく人たちで、生み出した価値で査定されない面白くない日々を送ることになるので、余暇、つまり気晴らしっていうのが重要視されるようになっていく。で、その需要をめがけてエンターテインメントの産業が極端に大きくなっていったという、そういう流れがあって。ところが、これからっていうのはそれも変わってくるので、つまり、仕事と余暇みたいなものの分離っていうのがすごく不分明になってくるので、今までみたいな形ではエンターテインメントは機能しないんではないか、という気がするのね。まあスポーツの試合というのは、そういう意味で近代的なエンターテインメントなのか、それとももっと昔からある伝統的なお祭りのようなものから続いているものなのかよくわからないところもあるけど、W杯とか、オリンピックとか、国家を基本単位として遂行される大会って、その意味がもはやよくわからんってところもあると思うし。といってひたすら経済原理で動いていくのも、なんだかな、だし。

 例えば地方でサッカースタジアムがあって、そこに飲食店がありますって言った時に、そこにモスバーガーが入ってるみたいなことだと、地元のお金が結局は東京に吸い上げられている、ってことになっちゃうわけです。スタバでもいいんだけど、それって多少の雇用は産んだとしても、ローカル経済にそこまで貢献してなくないか?という疑念はありそうで。

 スタジアムっていうのも色んな商業を差し込める空間なわけだから、例えば、地元で地ビール作りたいですって人がいたら、その人たちを応援してあげられる、もっと言うとインキュベートできる空間になるわけじゃない。じゃあクラブがその起業家に投資してあげて、試合の時には独占的にその地ビールを売ろうみたいなことができるわけで、そうするとスタジアム自体がある新しい商業空間となって、新しいビジネスを生んでいく空間になってくかもしれない。スタジアムは非日常性の空間としておくには、あまりにコストがかかり過ぎるんだと思うわけ。税金が投入されたりもしてるわけでしょ。とすると、日常の時間のなかでスタジアムにどういう機能を持たせうるのかっていうのは、大きな問題なんだと思うんだよね。

理想のスタジアムはスタジアムがないこと

力:すごく象徴的なのが、スタジアムっていう建物のデザイン自体、街の中に無骨にいきなり現れるじゃないですか。まさに分断されているみたいなのが、もっとイメージとしては公園みたいな、境界線を繋いでいく寛容さみたいなものが必要ですよね。

若:空間設計っていう観点からも、そのことはかなり意識され始めていて、スタジアムって週に1回しか使われないわけでしょ。その割にはえらい面積も占めてるし維持費もバカにならない。そこで商業施設を併設させようとか、周囲を公園にしようとかいう複合化は、必須の要件になってきてる。

 ロンドンオリンピックが本当に優れてたのは、ロンドン市がオリンピックのKPI(※Key Performance Indicator:重要業績評価指標)を、経済効果でもなく、観光客の数でもなく、ロンドン市のスポーツ人口を倍にするという目標を立てていたことなんだよね。それはおそらく、社会保険って観点から見ていくと、都市部は今後人がますます増えるから、市民が健康であることは行政上の重要なミッションなんだよね。その中でロンドンオリンピックをテコに公園を増やしてとにかく人がスポーツをやれる場所を増やしたのね。オリンピックはオリンピックでそれなりのキャパシティは必要なんだけど、それはあくまでも一時的な需要でしかないと判断して仮設で作ったりしたので。日常の時間のなかでは、そんなたくさんの客席なんかいらないし、維持費もかかってくる。要は、ロンドンは「日常のスポーツ」に最適化した設計をしたということなんだと思う。これは頭が良い。

 昔、WIREDで都市の特集をやった時に、アメリカのスタジアム専門の建築家の話を聞いたんだけど、「理想的なスタジアムはスタジアムがないことだ」って彼は言ってて、要は広場でいいって言うのね。スペインの闘牛とかって、町の広場で行われるんだけど、前の晩に仮設の観客席ができて、終わったらすぐ撤収する。F1の市街レースもそういう考え方だよね。おそらくF1はこれからどんどん市街レースが増えていくはずで、そのほうがやっぱり今の時代においては理に適ってるんだと思う。市街レースはモナコはもとより、シンガポール、バクーですでにやってるし、ロンドンもモスクワも手を挙げてるというのね。本当は東京もお金のあるうちに市街でのF1っていうのは現実的に考えるべきだったと思うんだけどね。

力:そういう話を実現していくってなると、やっぱりデザインする側にもそういう知見が必要だったり、全く関係のないようなジャンルの人も入っていくことが必要なのかなと思います。サッカーはサッカーの中だけではなくて。

若:そうだね。スポーツも社会のなかに埋め込まれた社会的な構成物だから、社会のありようが変れば、そのあり方も変更を迫られるよね。いまは、企業目線っていうのはすごく重要だけれども、一方で行政的な目線もすごく重要だし、ファンや地元、つまりはコミュニティの目線もとても重要になっている。それぞれを見渡して適正なバランスをみつけるのは、難しいけれど、その難しい連立方程式にきちんと取り組まないといけないと思うんだけど、ちゃんと考えられる人がいるのかな、って不安にはなるよね。

 スタジアム建設って、世界のどこでも揉めるんだよね。めちゃくちゃお金はかかるし、税金も投入されるし。「それ地元になんの役に立つの?」っていうのは結構日本では視点として落ちてるわけ。経済効果って言葉がご託宣のように語られるけど、それって自分たちと関係なかったりするじゃない。公園も、ただ公園を作りますって話だともはや納得しないので、それがどういうふうな運営のされ方をして、近隣に利益をもたらすのかって、かなり色んな人たちのことを想定してデザインされないとやっぱりダメで、そういう意味で言うとインクルーシブとかインクルージョンみたいな話っていうのは結構重要だと思うけどね。やっぱりスタジアム規模の大きさになると、限りなく公共の施設に近いので、だから色んな人が使えるようなオープンなものにすべきだろうし、やっぱりダイバーシティっていうのも重要で、今のロンドン市長はインド/パキスタン移民の家系の出身ですけど、ダイバーシティを担保することによって経済もドライブするんだって言ってるのね。どんな人でも、貧しい人でもそれなりに充実した人生を送れる都市にちゃんとしますからって言ってる。金持ちが楽しく暮らせますっていうのは、そりゃそうだろうって話でしかないでしょ。でも、金持ちも貧しい人もいるっていうのが都市なので、貧乏な人たちも自分たちのクオリティ・オブ・ライフを高められますよっていうような装備を都市内に作りますよって、理念としては美しいと思うんだけどね。

 日本は、行政はビジョンをろくに持たないし、企業は企業目線でしか物を言わないし、市民は市民で半ばクレーマーに近いかたちで自分たちの都合しか言わないしっていうなかで、より不透明な中で決断が為されていくという感じなのかね。いい塩梅にこなれていくまで、まだまだ時間がかかると思うなあ。

力:本当に100年かかりそうですね(笑)。

若:まあ、でもやっぱり初めに理念がしっかりあってってのが重要なのかもね。もちろんみんなビジョンは言うんだよ。「サッカーを通じてみんなを幸せにする」みたいなことは言うんだと思うけど、そのみんなって誰だよとか、そこでいう幸せってどういう状態だよ、ってなると何も出てこない。内実のないところで言ってるだけだから、具体的な方針や戦略にならないんだよね。


まとめ

 サッカースタジアムを考えることから始まったこのテーマが、行き着く先はスタジアムを無くしていくことになるとは。とにかく、スタジアムを基点としてコミュニティをデザインしていくという話は、トップダウンでコントロールされるべきものではないのだ。僕たちが目指しているのは、スタジアムが目新しい見た目や機能を兼ね備え、サービスたっぷり、どうぞお客さん今日は座って楽しんでいってくださいと語りかけることではないのだ。僕たちは、僕たちが望むように、一緒になってスタジアムを、まちを作っていく。

 試合前の円陣を組むときのように、きみを仲間に入れたい。さあ、この試合をどうプレーしてやろうか、なんて作戦会議をしている。





#サッカー
#FOOTBALL
#スタジアム
#コミュニティデザイン

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スペイン1部でプロサッカー選手になることを目指してます。 応援してくださいって言うのはダサいので、文章気に入ってくれたらスキか拡散お願いします! それ以外にも、仕事の話でも遊びの話でもお待ちしてます!

二項対立
9

篠原 力(SHINOHARA RIKI)

バレンシアでサッカー選手やってます。遊びに付き合ってください。

サッカーから実現するコミュニティデザイン

卒業論文で、「サッカーから実現するコミュニティデザイン」をテーマに、スタジアムにいかにして人が集まり、サッカーが人々の生活に影響を与えていくかを研究中。
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