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僕らが見たいサッカー日本代表は、こんがり狐色に揚がったハムカツだ。


 遂に冬の寒さにも耐えかねて、車を出す。日が落ちてしまうのを追いかけるかのように西へと向かう。今日は休みだ。風呂にでも行こう。

 お近くの友人の方々を誘い、土壇場でGO。空もいい感じに染まってきた。

 見慣れない街並みを走り、知らない道であっちへこっちへ行くのも楽しい旅の思い出。ようやく辿り着くと、そこには絶景。時の流れもいい加減になってきて、明日からはもうちょっとだけ頑張ろうかななんて心持ちになってみたりする。

 来た道を帰るだけ。終わればあっという間にお家まで。車内で何の話をしていたかも全然思い出せない。そして、今日はいい日だったなーとか余韻に浸りながらも、家に帰るとなぜか家の風呂に入り直すのだ。


 僕たちには帰ってくる場所がある。いい旅をしたって、リゾート気分を味わったって、帰ればここが僕の家には変わりない。どんな安アパートの家だろうと、それでいい、他にはない自分だけのお城なのだ。

 しかし今、この“居心地の良さ”は脅かされ、もしくは失われつつある。

 あらゆるテクノロジーの恩恵によって、僕たちはどこにいても外と繋がって、日常と非日常の関係は溶けはじめている。そして僕たちは、その壮大なシステムに組み込まれ、このままではいけないよとばかりに煽てられる。自分にすら満足できない。

 そして自分に期待できなくなった僕たちは、少なくとも僕が1996年に生まれてからは、ずっと日本代表を応援してきた。サッカー日本代表は広告で謳われたように、絶対に負けてはいけないのだ。

 しかし、日本代表はまだ世界一ではない。今も根強く残る欧米に対する劣等感によって、これまた悲しくも自分たちを否定しなければいけない。

 まだまだあいつらに勝つには、僕たちは足りないわけだ。やっぱり僕たちはあいつらの歴史に比べたら出遅れてるわけで、あいつらが何をやっているのか、見よう見まねで追いつけ追い越せなのさ。いつになったら日本がサッカーの国になれる?


 ハムカツの味を思い出してほしい。

 そもそも、いつどこでハムカツが誕生したのかも定かではないが、まあおそらく豚肉も鶏肉もなかったので代わりに安いハムを使ってみたといったところだろう。二番煎じ、焼き直し、いつまでも本物には到底なれっこない。

 しかし、ハムカツは違った。

 どうやって生まれたかもわからないのだから、そのあり方も自由だ。

 チーズを挟んでもいい。キャベツなど野菜を混ぜてもハムカツになる。しかも、どの家庭でもお店でも美味しく食べれる。それは、ハムカツの味だからである。ハムカツは、トンカツになることも、チキンカツになることも目指していない。

 自分の味を信じ、それでいて自由だから、可能性も無限。これまたビールにでも、ハイボールにでも、何だって合うんだよなー。見てみろ、ハムもにっこり嬉しそうだぜ。


 たくさんの人に愛されてきた。

 はじめは見劣りするものだったかもしれない。憧れもあったかもしれない。

 でも、もっと自分を信じてやるんだ。自分にできることを、ただ誠実に、もっと自由に。

 僕たちは居場所がほしい。居心地の良い、自分たちだけの愛すべき存在に。

 日本のサッカーを見るその眼差しに、僕たちは自分にできることで応えていこう。ワールドカップでどこが優勝していようが、チャンピオンズリーグでどんなサッカーがプレーされていても、いちいち首を突っ込んで頭を抱える必要はない。

 もうポーランド戦は見たくない。

 どんな手を使ってでも勝つなんて。負けられない戦いに迫られて、自分に嘘はつけない。

 みんな、今日は家で日本のサッカーを見ようぜ。




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