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誰がキャプテンマークを巻くべきだろうか。


 キャプテンマークを巻くのはどの選手だろう。

 メッシのような抜群の才能を持った特別な存在?それとも、鳥のように空高くからチームを見渡して全体をいつでも正しい方向に導けるリーダー?

 僕たちはしばしば特別な個人に目が行きがちである。特に、組織のこととなると、誰かキーとなる1人がその組織の命運を左右すると思いがちで、またその手の物語に心を打たれがちでもある。

 実際、組織とはいつも、時の流れや周辺環境といった不確定要素に晒されている。あの試合で勝ったから、完璧な戦術が組めたから絶対に成功する、そんな秩序で守られたサッカーチームは存在しない。一度はまとまったチームも同じことの繰り返しではうまくいかず、破壊と構築を繰り返し、動き続けなければいけない。

 そんなFCエントロピーはまるで生き物のようである。

 それでは、生き物はどうなのだろうか。


 イワシの群れは、まるで1つの生き物のようにきれいなフォーメーションを組んで連動している。一糸乱れぬその動きの中では、一匹もぶつかることはない。長年、この仕組みは解明されていなかった。

 リーダーとなるイワシがいるのだろうか。ずっとそう考えられてきたが、そのような特異な性質をもった個体は見つからない。

 全体で何か決まった法則のようなパターンがあるのかとも考えられたが、それをプログラムとして書き出すとそのコードはあまりに複雑で、何が群れを機能させているかまで解明できたものはなかった。

 アメリカのアニメーションプログラマーだったクレイグ・レイノルズは、特別な個体でも、全体でもなく、ただ普通の一匹に注目した。

 すると、その一匹は自分の周りの数匹の動きを把握するのみで、ただぶつからずに一定の距離を保つという簡単なルールに従って泳いでいることが分かった。

 

 レイノルズが導き出した行動パターンは、僕たちが渋谷のスクランブル交差点で他の人とぶつからずに反対側まで歩いていくことと同じことである。

 組織を動かしているのは、ありきたりの個人だった。しかも、その個人は身の回りに起きる出来事に自然に反応しているだけなのだ。

 逆を言えば、自分が今何をすべきか見直す時に、一番遠く離れた魚の動きを知る必要はないわけだ。自分のポジションを知るのに、世界は前後左右ほんの数メートルで十分なのかもしれない。

 組織がうまく機能しない、もしくは間違った方向に進んでしまうときには、普通の人々が自然な動きができていないと考えれば良い。

 それはつまり、誰かが誰かに気を遣って言いたいことを言えないだとか、居心地の悪さを感じてしまうといったことだ。

 個人の意志が尊重され、それらが全体に自然に流れていくのがいい。ただし、ありきたりの個人というのも、同質の個人の集まりでは舵取りを誤ることにつながる。

 イワシは一匹一匹違っていればいるほどいい。あるいは、違う魚だって入ってきたほうがいい。

 そいつらが同じ方向を向いて、1つの生き物のように連帯する。

 誰がキャプテンマークを巻くべきだろうか。






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