バレンシアでサッカー選手になる人の記録
およそ二ヶ月も経てば、髭もすっかり生え揃っていた。4月の初め、バレンシアに来る日の前日に日本で髭を剃ってからは、全く一度も剃らずにおいた。テレビでは、新しい元号が令和であると発表されていた。
来てすぐの頃は、それもあって18,19の年頃に見られた。今年で23だと言った時にそれがどんな印象を与えたかは分からないが、サッカーで信頼を勝ち取り認めさせるには、手っ取り早く結果を出すしかなかった。
まずは名前を覚えてもらわなければいけない。新参者の、名前も分からないやつにパスは回っては来ない。多かれ少なかれ、ピッチに立ってサッカーをするというのはそういうことなのだが、とかくスペインでは自分が何者なのかを主張し続ける必要がある。
そして、どんなに足掻いたところで、ボールは1つに相手は11人。自分1人でできることなど限られている。それなのに、下手をすれば相手が21人になってしまう。隣の1人からでいい、仲間を作ることだ。
それは例えば、練習のない日に街の方でたまたまチームメイトと出くわして仲良くなって、次の日からそいつが助けてくれるといったようなことだ。意固地になって誰とも馴れ合わず1人でどうにかしようとするよりも、大事なことがあるのだ。
ここで結局、僕は行きの飛行機のトランジットで立ち寄ったトルコのアタテュルク空港のカフェを思い出すことになる。
そこで、僕はトルコ人の見た目は40歳くらいの男と出くわした。男は隣をいいか?と聞いて席についた。手にはママが作ってくれたというミートパイをアルミホイルに包んで持っていた。昔、アメリカで音楽をやっていた頃の友人に会いに行くのだそうだ。
男はトルコがいかに良い国であるかを教えてくれた。今は偏見や差別に苦しんでいるけれども、イスラムがいかに素晴らしい文化と歴史を持っていたかも教えてくれた。僕は、高校の頃に世界史で習った、と答えた。
それから、「人生に必要なものが何か分かるか?」と男は言う。「気の知れた友人だ。どこにいても、何をしてもそこに良き友がいなければな。お金だっていらない。」口の周りを覆う髭をわしゃわしゃと撫でる。ミートパイをくれたので食べてみる。冷めていて、生地も柔らかすぎるし、お世辞にも美味しいとは言い難かったが、僕は好きだった。
スペインでサッカー選手を目指す人、日本から渡ってくる人は多い。もちろんここだけではない。これからも海外への挑戦はより身近な選択肢になり、機会は増えるだろう。
だが、期待しているもの、例えば日本よりもクオリティが高いとか今まで自分が知らなかった新しい何かがあるとか、そういったものはあまり意味がない。あるのは夢見る国ではなく、現実世界なのだ。
サッカーは、子供の頃思っていたように綺麗ではないし、時には残酷で、卑怯でもある。
ファウルでも止めなければいけないし、
差別もあり、リスペクトを欠くこともある。
ピッチの上でのフェアプレーがまかり通るほど単純で綺麗事では済まされない。それでも挑み続けなくてはいけないが。
それでも、不思議とサッカーを嫌いにはならなかった。やはり、サッカーはサッカーであってほしいと願っているからだ。
そして、バレンシアに来ておよそ2ヶ月の間に多くの人と出会った。
多くの人とサッカーを共有し、僕と同様にサッカーがサッカーであってほしいと意見を一致させた。それらは、貴重な出会いであることを知った。そして、それこそが本当の財産だった。この足とボールで学んだことは、サッカー以上であった。
尊敬の眼差しがあった。
信頼の握手、鼓舞があった。
そして、別れの抱擁があった。
そういったものは、変わりゆく環境、時間の流れの中でも見失ってはいけないものだ。帰りのトランジットではアタテュルクからイスタンブールの新空港に変わってしまって、あのカフェも面影もどこにもなかった。見た目は綺麗で真新しいが、ゲートまでの遠すぎる道を、ずるずると荷物を運びながら進んでいく。
僕は今、生え揃った髭をなぞりながら言うだろう。
「サッカーに必要なものが何か分かるか?」
A tope! : 頑張るよ!、最善を尽くそう!
父の絵本を親子共同出版しました。大好きな本です。いつかまた、何度も読みたくなる、そういう大事な本です。
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スペイン1部でプロサッカー選手になることを目指してます。 応援してくださいって言うのはダサいので、文章気に入ってくれたらスキか拡散お願いします! それ以外にも、仕事の話でも遊びの話でもお待ちしてます!