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誰かの役に立つ以前のセルフケアができてなかった頃-WRAPの実践を通してー

 疲れているときや調子が悪く頭が朦朧としているとき、自分にピッタリな回復メニューがリストアップされていて、チョイスするときにはすぐ始められるようにアイテムも揃っている。心のこもった労わりのメッセージも添えられている。
 それらを自分自身が、弱っている自分へのギフトとして、自分が調子のいいときに準備しておけたらどうだろう。

わたしはメンタルが不調だった頃、様々なメソッドを学び実践していた。
CBT、DBT、SST、IPS(インテンショナル・ピア・サポート)、アサーティブコミュニケーション…。病院の作業療法にも多く参加したし、個別の研修にもかなりの数に足を運んだ。

 特に縁が深かったのがWRAP(ラップ【日本語名:元気回復健康プラン】)というメソッドだ。ファシリテーターの資格を取り、伝える立場も4年経験した。
 メンタルの不調を卒業した現在でも、その一部をカスタマイズして使い続けていて、ユーザーとしての経験は10年以上になる。

 ラップは、毎日を元気で豊かに生きること、また、気分を乱すような状況への気づきを高め、調子が乱れたときに元気に向かうことを促してくれる、自分で作る、自分のための行動プランです。普段の生活を意識的に営むことの、とてもシンプルなガイドです。

 WRAPは精神に困難のある当事者のメアリー・エレン・コープランドさんが中心となって育んだメソッドだ。本質的な概念部分を考えるパートと日々の生活の中の行動を考えるパートがある。
 日々の行動を考えるパートでは、日常の中でそのときのコンディションやきっかけに合わせて、できそうなことをリストアップする。

 例えば、わたしは余裕がなくなってくるとサランラップを切らしたり、鍵が行方不明になったりする。それを合図に行動リストを見返して、日々の行動で大切なことが抜け落ちていないか点検したり、リフレッシュする行動を単発でやってみる。それは、日常の中でできる小さなことだ。私の場合は、最近、ヨガをしてなかったと思い返したり、具沢山のオムライスを作って食べることだったり、インテリアショップを散策する時間を持つことだったりする。早めのケアが、気づかないうちに体調が降下していく歯止めになる。ケアの内容は、あくまで自分基準。自分の心が喜ぶことをするのが肝心だ。

作るときは
・ 今の自分はどのタイミングでどんな行動をしようと考えているのか
・ 自分が選ぶ行動にはどんな傾向があるのか

使うときは
・ 考えているとおりに本当に行動しているのか
・ その行動は本当に適切なのか
・ 使うタイミングは合っているのか

 作りながら使いながら、自分用にカスタマイズして育てていく。本心と思考と言動の乖離が大きいと、様々なことがうまくいかないものだ。WRAPに取り組み始めたわたしは、メンタルはボロボロ、仕事は長続きせず、人間関係ももめてばかり。あらゆることがうまくいっていないお手本みたいな存在だった。

 わたしが実際にこのメソッドを使って明らかになったのは、わたしが私について何一つ把握できておらず、適切な行動がとれていないことだった。自覚するのがとにかく遅い。そして、自責がひどすぎた。肺炎をこじらせた後に、葛根湯を飲みながら水垢離をするような噛み合わなさがあった。
 もっとストレートに言うなら、わたしは私が大嫌いで、ちっとも興味がなく、何十年もずっとケアを怠り続け、向き合うことから逃げ続けてきた現実を直視せざるを得ない状況になったのだ。

 そんな状態で身体が元気でいられるわけがない。現実がうまく行くわけがない。身体が不調を通して、わたしに警告を送り続けていたのに、わたしは徹底的に無視し続けていたのだ。うすうす感じていながらも受け入れられない長い葛藤を経てそれが腑に落ちたとき、わたしが私にしたのは、とてもシンプルなことだった。

 謝罪だ。心の底から「すみませんでした」と自分自身に謝ったのだ。

 それは、1つの大きな挫折だったとも言えるかもしれない。挫折は辛いものだが、そこから学びを得られるなら、後々、違う価値感でそのトピックを評価し直せる。

 WRAPを1つのきっかけに、わたしは心理について学び、さらに派生して近い分野も学び続けた。WRAPで学んだ概念的な部分は、今では様々な分野で学んだことと融合し、もうどれが何から得たものなのか分からないポタージュスープのようになっている。学べば学ぶほど、どの分野でも本質的な部分で使うワードこそ違うものの、近いことを伝えているような気がしてならない。

 WRAPは、原則としてフレームを提供するメソッドで、採用する中身については干渉しない。例えるなら、お弁当箱みたいなもので、入れるおかずは全て本人に任される。変化する自分に合わせて、入れるおかずも変えていく。学び続けること、分野や枠にとらわれず、自分なりの哲学を持つことを推奨しているのも心強かった。

 わたしは、記憶に偏りがあるのか大事なことはすぐに忘れてしまい、細かいことばかりを覚えている人間だ。初めて病院の枠を出て、WRAPのイベントに行ったときのことを覚えている。

 病院のスタッフに、いつも私の背中を押してくれる言葉を言ってくれる人がいた。スマホもグーグルマップもなかった頃だ。自分で電車を調べ、プリントアウトした地図を片手に慣れない土地をまごまごと歩き、会場では誰一人として知っている人はいなかった。会場では並べられたパイプ椅子の真ん中より少し後ろにぽつんと座った。アメリカから招かれたショートカットのWRAPファシリテーターの女性が、そばを通りかかったときに私に微笑んでくれたムービーが、今でも脳内にある。

 私は、モノを多く持つことが苦手だ。引っ越しも複数経験し、断捨離や近藤麻理恵さんのメソッドも実践してきた。何度も徹底的に物を減らすことを繰り返してきたのに、その10年以上前のイベントで頂いた絵ハガキが、今も手元にある。

 写真左が絵葉書。テキサスの方だったらしい。写真右は現在の私のWRAP。続けているうちに、とてもシンプルになった。(固有名詞が多いので、広く公開できない)

 現在でも、WRAPは有志のファシリテーターによって各地で行われている。
http://wrap-jp.net/index.html

 メアリー エレン・コープランドさんは、こう語ります。「とても深い抑うつと、コントロールのきかない躁状態に悩まされ、私の人生は終わったも同然だと思っていた時期がありました。主治医も私の人生は終わったと思っており、私は障害年金をもらって暮らしていました。ですが、私は、自分で行った調査から、どうやって困難な感情や行動を取り除くことができるかを学びました。いまでは自分の家を持ち、やりがいのある仕事をし、たくさんの親しい友達に囲まれ、すばらしい男性と結婚しています。元気で幸せです。自分のことを『精神の病気を持つ人』と思うのをやめました。他の人と同じなのだと感じています。これは誰にでももたらされることだと信じています。ただ、それをあなたにもたらすことができる人はひとりしかいません。困難を経験しているあなた自身です。あなた次第なのです」

 私もメンタルの不調を手放し、やっと社会に差し出せるものについて考えられるところまで来れた。ここまで来るのに身体の寿命を考えると、人生の約半分が終わってしまったとも言える。もし、私と近い悩みを持つ人がきっかけに出会えずにいるなら、周りに背中を押してくれる人がいないなら、経験者である私が「行ってみたらどう?」と笑顔で言いたい。

 早めに有益な情報に辿り着いて欲しいし、自分のために行動する一歩目を踏み出して欲しいと願っている。


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