言わなくてもいいことと黙ること


余計な一言。
このnoteも言わば書かなくてもいい余計な一言になるのかもしれない。

僕は偏屈な心と捻くれた性格とが相乗効果となって、余計なことを口走ってしまうことがよくある。

高校生の頃にバレンタインデーにお菓子を貰うも、
「ちょっと潔癖症気味だから人がどういう状況で作ったか分からないもの食べられないんだよね。既製品の方が嬉しい。」
後からこう言っていたことがある。
言っていることは確かに事実であることに違いはない。よくある他人の握ったおにぎりが食べられない的なアレだ。チョコとかクッキーなんてどんな環境・工程で作られたか想像するのも怖いくらいだ。
小学生・中学生の頃は貰っておいて家に帰ってから全部ゴミ箱に捨てていた。
でも何故高校生になってからこのことを周りに言ったのだろうか。
完全に余計な一言である。

高2の頃にその後付き合うことになる女性からバレンタインに手作りのクッキーを貰った。
当時僕はストライクウィッチーズにハマっていたからか、EMT(エーリカマジ天使)とかを形作ったクッキーだったと思う。

記憶が曖昧なのは食べてないからだ。

その方も渡すときにこのことを知ってるからか「別に食べなくても良いからね。楽しくて作っただけだから。」と言っていた。
絶対にそんなことはない。手間暇掛けてああでもないこうでもないと試行錯誤した結果の大切な贈り物であったと思う。

今ではその最適解が分かる。その場で開けて食べて「美味しい!ありがとう!」たった2秒で伝えられるこの言葉を言うことだ。ここから派生して相手が自分を想ってくれた気持ちに心から寄り添うことが何よりも大事だ。
それが16,7歳の未完成で捻くれた人間には想像もできないし、さらには考え得る最悪の答えに辿り着いてしまう。
自分に好意を抱いてくれている相手に対してはせめて最適解を出してあげるのが感謝の伝え方だと思う。

後に付き合ってからの高3のバレンタインデーにはガーナ板チョコのブラックを1枚もらった。
受験期で忙しかったのもあってこうなったし、当時の僕としてもバレンタインデーに貰う物の最適解であったと思う。

でも何か心には悲しさが残った。自分の発言のせいなのに。

そしてこの頃からお互いに距離ができていたと思う。


そして別れてから何年も経った今も当時と同じ熱量で過去の自らの未熟さと不正解に日々悩み続けて、1日たりとも悔いがなくなった日は無い。


こういう言わなくてもいいことがある。


そして黙っているという優しさがある。

先日の『あちこちオードリー』(#105 2021/10/20)という番組でオードリーの若林さんが今のパートナーの方と結婚しようと思ったキッカケを話されていた。(結婚した当時はよく分からない肩を揺らすのを笑ってくれたみたいなエピソードを話されていたが今回のエピソードが本物な気がする)

若林さんは2回目のドライブデートに行った際に緊張でお腹を下してしまいサービスエリアに寄り酷い下痢をしてしまったという。
その時に顔が真っ青になっていた若林さんに対し、その方はお茶を買って来て目の前でじっと黙って体調を戻るのを待ってくれていた。
心配しすぎず励ましたりもせずただただ待っていてくれたそうで、若林さんは自らの性格を知った上で何度も心折れるだろうからこういう待ち方をしてくれる人だったら大丈夫そうだなと思ったと仰っていた。
そして帰り道に「結婚するつもりで付き合いたい」と思いを伝えたとのことだった。


さらに先日の『オードリーのオールナイトニッポン』(#617 2021/10/9)では、若林さんが妻と鮎釣りに行ったエピソードを話されていた。

若林さんはその鮎釣り体験の場所が川にも関わらず下流がせき止めてあるのを見て「ああ、これ上から養殖放してるだけだな」と思ったのだが、それを鮎釣りを楽しんでいる奥さんには言わなかった。これは余計な一言になると判断したのだと思う。
そして鮎釣りを終えて釣った鮎をその場で焼いて食べられるということだったが若林さん全て川に戻してしまった。この後に鮎料理屋さんを予約していてそちらの方が美味しいだろうし、今ここで中途半端な鮎を食べても感動が薄れてしまうと思ったのだという。
そして奥さんの釣った鮎もすべて川に戻して車に乗り込み、お店に向かっていると奥さんが「若林さんね、そういう性格なのを知ってるからあえて言わなかったけど、ああいうときは味だけじゃなくて景色と思い出も一緒に食べてるんだよ」と言われて衝撃を受けたとのことだった。

それを若林さんは『修行』と称していた。まさにその通りで、男子校育ちで女性の気持ちなんか分からないし今まで1人で生きてきて自分本位が当たり前だった彼にとっては全てが未知で、教えてもらわないと分からないことだらけなのだと思う。


この2つのエピソードを聞いて僕は天地がひっくり返るほど驚いた。
世の中にそんな優しい女性がいるのかということに。
女性不信で女性恐怖症な私にとっては全ての話が嘘みたいに聞こえるくらいだった。

若林さんの成長に驚くと共に非常に素敵な人生のパートナーがそばにいるのだなと羨ましい気持ちを抱いた。

それと同時に自分のエピソードを客観視できたことで気付いて驚いたこともあった。


僕も以前若林さんと同じように、今年とある女性との2回目のドライブデート(付き合ってない)のときに、ワッフルが美味しいお店に行ってお昼ご飯とワッフルを食べようと約束していたのに、緊張しすぎたのか胃酸が出まくってしまって少し油っぽいパスタが気持ち悪くて全然食べられなかったことがあった。

そもそも人と2人きりで食事するのですら緊張するのに、増しては女性ともなるとなおさら緊張してしまう。こんな場面は6年ぶりくらいだったと思う。
緊張して気持ち悪くて食事を食べるのが遅いなんて恥ずかしすぎるし、自分で選んで頼んだのに残すなんてもってのほかだし、何より女性はワッフルを楽しみに来ているのに僕が食べるのが遅いせいで頼みにくいかもしれないと思うと、指数関数的に緊張度が増してしまって冷や汗すらかいてきてしまって顔が真っ青になっていたと思う。

そのときの相手の気持ちは聞いてみないと分からないが、僕が何度も申し訳ないみたいなことを言っていたからか「ゆっくりで良いよ」とか「半分交換しようか?」などと言って落ち着かせてくれて待ってくれた。
僕はこのとき呆れさせてしまったし失望させたんだろうなと思っていたが、その感想は僕の捻くれた心がもたらす誤解で、本当は純粋な優しさだったのではないだろうかと若林さんのエピソードを聞いて客観的に判断することができる。
少しでも否定的に捉えてしまった自分が恥ずかしいし情けない。何か少しでも悪い思い出にならないようにすることはできたはずだった。
気持ちの負の悪循環というのは一度ハマってしまうと中々抜け出すのが難しい。こういうときの対処法を未熟な僕は知らない。

結局ワッフルを頼むことは出来なかったのだが、「パスタの量が結構多かったし私も食べられなかったと思う」「また今度来れば良いよ」と言ってくれたのが今思い出すと何よりも救いになっているなと思う。


若林さんのこの2つのエピソードを聞いたときに僕にもこういう方が現れたときには、常に最適解を導き出して必ず幸せにしなくてはならないなと強く思ったが、自分のエピソードを客観視できる今では、もう既にこういった存在の方が僕の前に現れていたのではないかと感じてしまった。


やはり同じ何かを感じてしまう若林さんのエピソードを聞くと、その度に自分の中の人生が変わっていく心地がする。

僕も来たるべきときのために修行をしたい。


けど若林さんの良かったところは素敵な相手と一緒になることができた上に、その方が一緒に修行をしてくださるということだ。

僕を含めて世の中の男性はたくさんの女性と関わっていくことで修行を重ねていって、この人しかいないという方に出会ったとき生涯幸せにするためにその修行を生かしていくと思う。

僕は修行どころかそもそもの心が捻くれているし修行の経験も少ない。関係をもったころは多いのだが心がダメだから修行の成果は限りなくない。
ではこの人しかいないと思ったときに最適解を導くのに解法を知らないのにどうしたら良いのだろうか。


今まで女性不信で女性が怖かった僕はそういう関係を全て諦めていたし、この先の人生は1人で歩いていくのだと決心していたのに、24歳にもなってこういうことで悩むとは思いもしなかった。

今は若林さんが仰っていた「結婚するつもりで付き合いたい」の言葉が頭の中を駆け巡っている。

この言葉を通過して世の中の関係性が生まれているのかと思うと、世の中はなんてエネルギッシュで勇気に満ちあふれていて、自信を持った方々が多いのだろうと気圧されてしまう。
自分に果たしてこの台詞を口にするときは訪れるのだろうか。その勇気と自信をどう生み出すのだろうか。想像するだけで怖くて震えてきてしまう。


結局の所言いたいことが分からなくなってしまったので、このnoteは本当に余計なものになってしまったかもしれない。


オードリーのオールナイトニッポンを7年間聴いてきた人間としては、最近の春日さんと若林さんのエピソード1つ1つに感動してしまいます。

皆さんも暇なときにオードリーのオールナイトニッポン(土曜深夜25~27時)を聴いてみてください。

以上です。(何これ)

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