名古屋SFシンポジウム2019レポ

2019年9月28日(土) 午後1~6時開催
文:橋本輝幸

 今年で第6回となる名古屋SFシンポジウムのレポートである。私は今年初めて参加した。今回のテーマは「SF周辺散歩」で、SF小説そのもの以外が特集された。
 スタッフの皆さんには圧倒的な安定感があったがそれもそのはず、かつての日本SF大会から、名古屋SF読書会まで幅広いスケールのイベントを運営してきた歴戦のつわものぞろいである。
 会場は例年と同じ椙山女子大学。地下鉄東山線の星ヶ丘駅からショッピングモールを通過し、少し坂を登るとすぐに到着する。傾斜のついた、最大100人収容できる教室である。なんと参加費は無料だ。

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 ※このレポートはパネル1をピークに尻すぼみになりますが、ひとえに私の携帯電話の充電の問題です。あらかじめご了承ください。

パネル1:100年前の幻想小説を読む 

ゲスト:中野善夫(幻想小説研究家・翻訳家)
司会:洞谷謙二/舞狂小鬼
 
 まずは中野さんの来歴から。子供のころから星新一や筒井康隆を読んでSFに親しんでいた。初めてSFマガジンを買ったのは1977年3月号、アーサー・C・クラーク特集号だった。当時中学生。正直よくわからなかったが、よくわからないなりにSFマガジンの購入を続けた。「SFでてくたあ」(石川喬司の新刊SF時評)や海外SF情報の欄を主に楽しみにしていた。
 そのうち、いつも行っていた書店のいつも行っていなかった洋書コーナーに、SFマガジンで紹介されているF&SF, Galaxy等の英語の雑誌があると気づき、買い続けるようになる。なお、先に級友に買われ、食い下がって譲ってもらったこともあったとか。くりかえすが中野さんは当時中学生である。
 高校に入ってからはLocus誌(※SF・ファンタジーの月刊業界情報誌。つまり中野さんが求める情報ばかりがぎっしり詰まっている)の購読を始め、高校2年生で海外通販デビューした。(ここで1982年2月の通販の手紙が証拠として公開される。手紙の品名にはロード・ダンセイニ、エイブラハム・メリット、ブラム・ストーカー等が並ぶ。この時期すでにコッパードも買っていたが、どこでどう知ったのかは覚えていないそう)

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 ちなみに高校のころ好きだった作家はフィリップ・K・ディック。当時(70年代後半)はサンリオSF文庫とハヤカワ文庫FT、奇想天外誌が相次いで創刊され、シーンに勢いがあった。
 SFマガジンの情報告知のページを見て、小川隆さん主催のグループ・ぱらんてぃあの初の公開例会に参加したのも、自分の知らないすごい古本屋の情報を教えてもらえるのではないかという期待があってのことだった。実際はそんなことはなかったし、最新の海外SFを追っている人たちが集っていたため「ファンタジーの古い息吹は吹き込めなかった」そう。
 ともあれ山岸真さん、内田昌之さん、中原尚哉さんといったほぼ同世代の若手と出会った中野さんは「当時はまだ外出もそこまでは苦でなくて」一緒にイベントに遠征し始める。出かけた先のひとつが名古屋で開催されたSFイベント、DAINA CONだった。(1989年のDAINA CON EX?)そのとき"渡辺兄弟"(※パネル3で後述)他、本日この会場でスタッフをやっている人たちの幾人かに初めて出会った。
 早川書房でレビュアー仕事を始めたのはスチームパンクがブームの1989年ごろ。SFマガジンの特集監修をやったり、『リバイアサン』(ジェイムズ・P・ブレイロック作、友枝康子・訳)の解説を書いたりした。そして『SFマガジン』で書籍レビューを連載するようになる。(1995年のイスマイル・カダレ『夢宮殿』がスライドに映し出される)『夢宮殿』はまだ良かったが、趣味が合わないヒロイックファンタジーシリーズの書評はとても大変だった。

翻訳するようになったきっかけ
 SF大会と異なり短命に終わったイベント、ファンタジー大会(1982,1985,1986に開催)で西崎憲さんと出会った。幻想小説の翻訳アンソロジーを共に企画するが、完成せず企画倒れに終わる。西崎憲さんはちゃんと翻訳を完成させて提出してきたにも関わらず。しかし、西崎さんはめげずにこれを企画書とともに国書刊行会に持ち込んだ。
 中野さん・談「我ながら良い仕事をしたと思っている」(※大意。仕事をしないことによって仕事をした。のちに1996年、国書刊行会《魔法の本棚》叢書からの西崎訳のコッパード『郵便局と蛇』と中野訳のヨナス・リー『漁師とドラウグ』の出版につながる)
 一時期は、ときおり夜更けに西崎さんからFantasy Centre(英国の古書店。閉業)のカタログを入手し、購入申し込みをしたという喜びの電話がかかってきた。中野さんは当時、福岡在住。海外郵便の受領は東京の西崎さんには必ず数日負けてしまうため、絶対に先手をとれなかった。中野さんと西崎さんは筑摩書房の《英国短篇小説の愉しみ》も共編訳している。
 2000年代に入ってからの河出書房新社のロード・ダンセイニの仕事は、中村融さん経由で手がけたもの。舞台袖より中村融さんが補足:『20世紀SF』シリーズの売れゆき成績がよく、企画が通りやすくなっていたので、ファンタジーもやらせてと言った。その結果がアンソロジー『不死鳥の剣』だった。その流れで中野さんや安野玲さん等を紹介し、みんなでダンセイニをやった。
 一人で編集したアンソロジー『怪奇礼賛』(E・F・ベンスン他、創元推理文庫)は、好みに合わせて偏りすぎたかもしれない。中村融さんにあまり面白くないと言われた。

 ……とお話はまだまだ続いたが、レポートはここまで。中野さんの新刊告知の言葉を引いて締めくくりたい。

 (新刊『ジャーゲン』の)ジェイムズ・ブランチ・キャベルってハインラインにもル・グィンにもスタージョンにもジーン・ウルフにも言及されている作家なんです。

 また、中野さんの現実が嫌いなのでSFよりファンタジーが好きという発言に会場が大いに沸いていたことを特に記しておきたい。

 ※くどいようだが充電の都合で、ここからはしっかり記録できていません。すみません。


パネル2:アメコミ(再)入門~映像と翻訳から~

ゲスト:吉川悠(海外コミック関連ライター、翻訳家)
司会:片桐翔造(レビュアー)

 まず吉川さんとSFの出会いについて。高校の図書館にSFマガジンが入っており、海外コミックなども紹介されていたので読んでいた。また90年代のTRPGを経由してファンタジー、サイバーパンクに親しんだ。『重力が衰えるとき』を読んだりもした。アメコミは90年代にもブームがあり、そのときスケーター文化と一緒に届いた。(ファッション界でアメカジ、ストリートカルチャーが盛り上がっていた時期。服やスケートボードと共にアメコミやアメコミのフィギュアが日本にやってきた。『スポーン』とか)

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 吉川さんのパネルはスライドをふんだんに活用したもので、古今にわたってSFとアメコミの関わりを解説している。印象的な例を挙げておく。
 ハーラン・エリスン、ミッキー・スピレインとフランク・ミラーの鼎談。
 現在も気鋭のファンタジー作家たちがアメコミに携わっている話(例えば、G・ウィロー・ウィルスンの後にサラディン・アフメッドが『ミズ・マーベル』を継ぎ、マイルズ・モラレス主人公のスパイダーマンを書いているなど)
 ヒューゴー賞を受賞した日本のコミックアーティスト、タケダサナにもっと注目しよう(X-MENをおとぎ話に登場させたX-MEN Fairy Taesで桃太郎の作画もやっていたそう)
 フィナーレでは、アメコミの映像化がまとめて紹介された。SF読者に向けてアメコミをプロモーションする終始攻めの姿勢だった。

パネル3:SFが生んだミステリ作家・殊能将之

ゲスト:中村融(翻訳家)、孔田多紀(ミステリ評論家)
司会:渡辺英樹(レビュアー)

 SFマガジンで連載されていた石原藤夫さんのコラム(「石原博士のSF研究室」)の第10回で、福井の天才少年としてSFアイディアへのツッコミの鋭さを紹介された殊能将之先生。彼はかつて名古屋大学SF研究会に在籍していた。もっとも、新入生歓迎の時期に入会したわけではなく、人寄せのため秋にSF研で原田知世主演の映画『時をかける少女』(1983)を上映するイベントを行ったときにまんまとおびき寄せられたそうだ。(渡辺英樹さんから懇親会でうかがった話では、渡辺さんはマンガを描いていた時代の森博嗣のファンで、大学受験のモチベーションは森博嗣目当てに名古屋大学に進学してマンガ研究会に入るか、東北大に進学してSF研究会に入るかの二択だった。しかし渡辺さんが入学した年、森博嗣は名大を離れ、マンガからも離れてしまう。あてが外れた渡辺青年は名大でSF研究会を創設し、部員獲得のために上映会を開いたのだ。もしかすると森博嗣さんが漫画家になった並行世界では、殊能さんは今のような作家になっていなかったのかもしれない。まさか第1回メフィスト賞受賞作家と第13回メフィスト賞受賞作家の間に間接的な縁があったとは。)

 殊能作品の参考文献をひたすら読み込んだ孔田さん(この方のブログ同人誌は本当に労作です)と、若いころから殊能先生と親しかった中村融さん・渡辺英樹さんが、作品の読み解きに思い出を交えて語るパネル。印象に残った逸話は以下である。
 『美濃牛』は『白鯨』であり、黒澤清である、という嗜好/志向の話。
 大学生時代にワイドスクリーン・バロックが話題になっており、殊能先生も、高邁な思想からハードSF的アイディアまでがめちゃくちゃに詰め込まれたこのオモチャ箱的ジャンルを愛していた話。「こういうの好きだな。誰も書かないならオレが書くかな」と言っていたそう。
 映画『ハサミ男』を撮った池田敏春監督は、昔、殊能先生が褒めていた『人魚伝説』というカルト映画を撮っていた人。『ハサミ男』を読んだ池田監督が直接、映画化をオファーしたのはなにか引かれあうものがあったのだろうかという話。
 また、石動戯作シリーズの警部たちは名古屋のSF系知人たちがモデルだそうで、例えば『美濃牛』の姫木六男警部は双子の渡辺英樹さん・渡辺睦夫さん(通称・渡辺兄弟)の下の名前から誕生した。殊能先生は観察眼に優れており、癖や特徴までもしっかりコピーされているそう。小説を読んだモデルの皆さんはそんなところを見ていたのかと驚くこともしばしばだという。渡辺睦夫さんは、姫木警部の「あるときから柱につけた傷の位置が変わらなかった(※身長が伸びないことを気にしている)」というくだりは兄弟の実話で、殊能先生に話したのは自分ではなく英樹さんだったため、『美濃牛』を読んで「なんでこんなこと知ってるんだ!?」と驚愕したとか(これも懇親会で聞いた話だったかもしれない) 『黒い仏』の中村裕次郎警部は中村融さんがモデル。その他にも、モデルの皆さんが次々に一礼される貴重な光景が!

 そしてパネルの終わりで、渡辺英樹さんが遺品整理中に発見した幻の作品『地図の隠されたトランプ』の構想を紹介すると、会場は騒然となった。同一の事象を別々に描いた2冊を同時に刊行する趣向。複雑きわまりないプロット。なんと参考文献やサウンドトラックまで用意済みである。「これ以上はお見せできないが、遠からず何らかの形で公開できればと」ということだった。以下は渡辺さんの締めの言葉の主旨である。

 読書日記も書籍化されたものだけがすべてではない。『地図に隠されたトランプ』の詳細や、書籍になっていないノンフィクションを世に出すためには『ハサミ男』以外の諸作や『未発表短篇集』や『読書日記 2000-2009』が売れ続け、今なおも読者たちに注目されている作家だと示す必要がある。出版社を動かすためにもぜひ読んでほしい。

 パネルのレポートは以上だ。

 各パネル間の休憩時は、物販コーナーで同人誌や古本を買い求めたり、国内外のSFイベントのブースで参加申し込みしたり、フライヤーをもらったりすることが可能だ。名古屋の古書店BiblioManiaさんも出張開店していた。

写真は来年の世界SF大会のブース。ニュージーランドで開催される。くらりもキウイの応援に駆けつけている!

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 パネル1の終了後、来年福島で開催される日本SF大会F-CONの関係者として作家の菅浩江さんが宣伝演説をおこなっていた。私は気づいていなかったが、F-CONの運営委員会は株式会社福島ガイナ内に設置されているそう。なお、ちょっと前までfucconという名称だったがあまりにfxxk onと響きが似ていたので改名したとのこと。

 事前予約制の懇親会は、ゲストも観衆も入り交じって話が弾んだ。本会には20代や学生もいたようが、懇親会参加者の下限層はおそらく30歳前後以降だろう。ふだんは愛知で働いており、名古屋SF読書会への参加をきっかけに名古屋SFシンポジウムに流れてきた方が多いようだった。男女比はSFセミナー、京都SFフェスティバルよりは少し女性が多そうだった。6:4に近かったのではないか? 懇親会後の突発二次会(一部参加者の自主開催)でも3分の1は女性だった。ただし今年のパネル登壇者に女性はいなかった。
 ひとりでフラッと参加しても、本会は視聴するだけだし予約不要・無料で途中入場可。懇親会は同卓者と気軽におしゃべりできる雰囲気なので、ビギナーにも安心と思われる。残念ながら来年は開催せず、その代わり、同時期に名古屋で大規模ミステリイベントが予定されているそうだ。

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