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韓国におけるジャンルSF受容:作家ソン・ジサンさんインタビュー

 今回は韓国の作家ソン・ジサンさん(1986-)にお話をうかがった。韓国では2017年後半に、プロ小説家団体である韓国SF作家連帯(Science Fiction Writers Union of the Republic of Korea; SFWUK)と、韓国SF協会(Korea Science Fiction Association; 小説家以外も加入可能)が設立され、改めてSFを盛り上げていこうと試みている。この両団体に所属するソンさんは、辻堂ゆめや道尾秀介の著書の日韓翻訳家でもある。
 子供のころから本が好きだったソンさんが自ら小説を書くようになったのは、大学時代に読んだ大藪春彦『野獣死すべし』と筒井康隆の短編集に衝撃を受けたためだそうだ。他に好きな長編SFはアルフレッド・ベスター『虎よ、虎よ!』、ハインライン『異星の客』、ジョン・スコルジー『老人と宇宙(そら)』、ロジャー・ゼラズニイ『虚ろなる十月の夜に』、ヴァン・ヴォークト『スラン』、筒井康隆『霊長類南へ』、小松左京『果しなき流れの果てに』だという。
 たまたまTwitterでやりとりした際、私は固定ツイートで見られる彼の長篇小説のキャッチコピーに驚いた。와이드스크린바로크(ワイドスクリーン・バロック)という言葉が入っているためだ。ワイドスクリーン・バロックはブライアン・オールディスがある種のスペースオペラを形容するのに使った言葉だが、英語圏ではもはや忘れられている。今年ようやくSFエンサイクロペディアに項目が作られたようだ。
 ソンさんの長篇小説が高千穂遥の《ダーティペア》から影響を受けた宇宙の運び屋もの(女性コンビが男性アイドルを護送する)であるらしいのも大いに気になるところだが、今回は韓国におけるジャンルSF観についてうかがった。

RZ: ワイドスクリーンバロックは、韓国SFファンにとって一般的な言葉ですか? あなたの小説の宣伝文句に使われているのを見て非常に驚きました。

SJS: いいえ、全然知られておらず、アルフレッド・ベスターは人気も評価もありますが、ワイドスクリーン・バロックと言う概念は全く知られておりません。僕一人が好きで読んだり書いたりしていました。残念ですが、あまり韓国人には向いてないジャンルだと思います。

RZ: 勉強になりました。ありがとうございます! 日本では若いSF読者の中にも、この言葉を知っている人がいます。今では英米よりも、むしろ日本で知られている言葉かもしれません。ベスターは面白いですよね。

SJS: 僕も最初は日本の書物で初めて(この言葉を)見ました。(僕は、どちらかというと、何を書いてもベスターやヴァン・ヴォートや小松左京や平井和正の初期短編っぽくなっちゃうので、やむなくワイドスクリーン・バロックになっちゃった方なんですが)ベスターは冒険小説の要素が韓国で受けたと思いますね。
 多分ですけど、日韓含めて、若い人の中では僕が日本の黄金期のSF作家を押さえている方だと思います。古本屋を血眼になって探しました。(笑)

RZ: その情報で思い出しましたが、以前、松川良宏(twitter: @Colorless_Ideas)さんと大藪春彦の話をしていましたよね?
SJS: はい。大藪春彦を読んだことをきっかけに小説を書きはじめました。

RZ: 実は、誰かに昨年11月の韓国SF協会主催のSF大会の話を取材したいと思っていました。大会でソンさんが行なったというワイドスクリーン・バロックについての講演について、教えていただくことは可能ですか?
SJS:  あの講演はですね、僕が勝手に「インナースペース」と「ワイドスクリーン・バロック」を対立させたり、思弁小説(Speculative Fiction)の概念を紹介したりして、SFの認識が狭く曲がっている現状の韓国で、視野を広げるために行ったものでした。「インセプションはSFか?」という題目でした。韓国では『インセプション』すら「ファンタジー」としてだけ認識されている節があるので、このタイトルにしました。「板垣恵介の刃牙シリーズは、もはや思弁小説である」とかの例をあげましたね。
・ファンタジーとSFは排他的関係ではない。
・ヒッピーとサイケデリックの影響でニューウェーブと言う運動があった。
・思弁小説は最初は未来予測だったが、思考実験に変わった歴史がある。
・インナースペースは特殊な意識の私小説である。ワイドスクリーン・バロックはその反対である。
という内容です。

RZ: 去年のSF大会で、ソンさんが観て面白かった講演・企画は何ですか?
SJS: 僕は、残念ながら自身の講演の準備と、当初は参加予定ではなかったのですが、SF作家であり評論家でもある猛友DCDCさんの講演のパネルにも参加したのが続いてしまって、他の方の講演や企画は見られなかったのです。
 が、個人的に見たかったのは有ります。「SF・科学対談〈女性科学者の目から見たSFの話〉」です。対談者は、科学著述家のイ・ウンヒ(이은희)さんと韓国天文研究員・責任研究員のファン・ジョンア(황정아)さんの2名です。

RZ: もう少し、韓国SFの現況について教えてください。韓国SFが読める貴重なメディアである幻想文学Webzine《거울》(鏡)は2003年設立だそうですが、ソンさんはいつ頃から関わりがありますか?
SJS:僕は2007-2009年ごろ、元々アマチュアとして短編を何回か投稿していました。2013年5月に(ノンフィクションの)記事をかく執筆陣として参加しました。創作指南書みたいな記事を多く書いていたのがきっかけでした。2016年には、小説の執筆陣になりました。

RZ: SFの一般的な訳語だという공상과학(空想科学)でもなく、판타지소설(ファンタジー小説)でもなく、《鏡》が환상문학(幻想文学)と題されているのはどのような理由からでしょうか?
SJS: これに関しては複雑な韓国の大衆・ジャンル小説の事情があります。ちょっとややこしいので、かいつまんで説明します。
 まず、今、日本で流行りの所謂「なろう系」小説とか「トラックにはねられて異世界転生」のようなネット小説は、韓国では20年くらい昔からブームがありました。(インタビュアー註:韓国ウェブ小説史は、飯田一史さんの「知られざる韓国マンガ&ウェブ小説市場について、ラノベ翻訳出版社と識者に訊く」にも詳しく載っています)
 韓国では、1990年代初めから全国的に、PC通信のアマチュア小説がブームになり、いろいろな作品が正式にも出版され大人気になりました。その中では、1998年にはイ・ヨンド(이영도)の『ドラゴン・ラージャ』(Dragon Raja)が、大ヒットしました。日本にも翻訳されています。(詳しくはウィキペディアの項目をどうぞ
 その後、『ドラゴン・ラージャ」のような小説が相次いで出て、2000年代初期にはもう今の日本のネット小説のブームやトレンドが出ていました。このネット小説としての「ファンタジー小説」は今も独自なジャンルとして発達しています。一般的に、韓国のジャンル小説で『ファンタジー小説」と言うとこれを指すことになります。例えば、日本でいう「異世界俺tuee」物はもうこの頃流行っていて「異世界・高校生男子・めちゃくちゃに暴れる物」を略した「イ・ゴ・ケン」(이고깽)と言うクリシェになっていました。ちなみに、韓国では「異世界転生」を『聖戦士ダンバイン』みたいに「召喚」すると言って「異界召喚」と呼び、転生ではなく移動として書かれることが多いです。方法も「トラックにはねられる」のではなく、「漢江に投身自殺したらポータルができて異世界に」のパターンがクリシェ化しています。
 世界的にいって幻想文学やファンタジーに入る、例えば、E. T. A. ホフマンみたいな後期ロマン主義や、イタロ・カルヴィーノのような幻想文学、角野栄子みたいな児童文学ファンタジー等を『ドラゴン・ラージャ』以降の「ファンタジー小説」と差別化する為に「幻想文学」と呼ぶことが、韓国では多々あります。
 ちなみに、韓国で一般的に「SF」は日本と違い、かなり狭い範疇を指すことが多いです。日本では「SF」と呼ばれそうな作品も韓国では「ファンタジー(幻想文学的)」と呼ばれます。『時をかける少女』は韓国では「ファンタジー」と呼ばれました。

RZ: さて、2018年度《鏡》傑作選アンソロジー『아직은 끝이 아니야』(まだ終わらない)に掲載されたソンさんの作品内容について、簡単に教えていただけますか? 猫の話ですか?
SJS: はい。SFではなく、少女の目から見たホラー小説です。ゴミ拾いの老人が偶然猫を飼うことになり、その猫が産んだ子猫が猫を嫌う人に蹴り殺され、猫を囮にしてその人に残忍に復讐するという内容です。(オチまで言ってしまいました)聞いた実話から膨らませた話です。

RZ: ソンさんは日本の小説を翻訳されていますし、アンソロジー表題作の作者コ・ホグァン(고호관)さんもラリイ・ニーヴンやアーサー・C・クラークの翻訳者だそうですが、他にも翻訳者と作家を兼ねている方がはたくさんいるのでしょうか?
SJS: はい。例えば、韓国SF作家連帯の会長である、チョン・ソヨン(정소연)さんもラリイ・ニーヴンの『フラット・ランダー』やエリザベス・ムーンの『くらやみの速さはどれくらい』、ケイト・ウィルヘルムの『鳥の歌いまは絶え』を含め、約10本以上翻訳されています。その他にも翻訳をされる方がいます。

RZ: 韓国SF作家連帯の会員は今、50人くらいでしょうか? 男女の比率は半々くらいで、まだ著作数の少ない若い方もたくさん所属されているように見えますが、私の印象は正しいですか?
SJS: 正しいです。現在約50名くらいですね。半々くらいで、やや女性の数が多いです。だいたい若い方ですね。
RZ: ありがとうございました。

注釈:なお、幻想文学Webzine《거울(鏡)》は、中国北京で活動する若手の組織、未来事務管理局のWebzine不存在日報などとコラボし、韓国と中国で相互にSF小説の翻訳を掲載する試みを行っている。中国語が読める人には韓国SF史の記事もおすすめだ。また、既報のとおり、米国のClarkesworld誌では今年の春から、隔月で韓国SFの翻訳が掲載されている。つまり英語と中国語では、ここ一年ほどで、ウェブジンで韓国SFの翻訳が無料で読める状況になってきたのだ。

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