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日常と情念

岩井志麻子の『でえれえ、やっちもねえ』と『ぼっけえ、きょうてえ』を読んだ。前者は令和3年6月下旬に刊行、後者は1999年頃(文庫化は2002年)。20数年の時を経て「後続的な作品」という帯の見出しで発表された。

新刊のネットでの評判では、『ぼっけえ、きょうてえ』には遠く及ばないっぽい。ので、僕は『でえれえ、やっちもねえ』から読んでいった。この順番で正解だったとは思う。

さて、この2冊はどちらも角川ホラー文庫だ。よって、一般的にはホラーに属する。ホラー=恐怖の定義は様々で、人によっては違ってくる。僕だって、「これはホラー、これはミステリー」とか分けて考えることがある。岩井志麻子は情念ホラーかなって思ったけどさてどうなんだろう。

『でえれえ、やっちもねえ』収録の4編でもっともホラー色が濃いのは「穴堀酒」だろう。ある”理由”から監獄に入っていた女が男にあてた手紙がつらつらと並んでいる作品。ネタバレになるので書けないが、きちんと厭なもの・事が待っている。一方、『ぼっけえ、きょうてえ』は収録されている4編ともホラーといえて、「ぼっけえ、きょうてえ」と「密告函」という話は突出してよくできている。

岩井ホラーの怖いところは日常に潜む怪物を描くところだ。その怪物はほぼほぼ人間。いわゆる人であるから厄介だ。恐怖の本質は怪物や魔物、幽霊ではなく人なのだ、とあらためて念を押されるものが多い。その人は、情念から絞り出され爆発し、狂気と暴力性を発露させる。自分にも誰にでもあるフラストレーションともいえるそれ。それらに性欲が混じっているから厄介で、「誰しもがこうなる」と冷静な筆致がまた厭だ。舞台は明治期。ああ、こんな日常と情念はどこにでもあったのだろうなぁとリアルに感じてしまう。それが岩井ホラーの良さだろう。

どちらも良かった。が、読む順番は『でえれえ、やっちもねえ』から『ぼっけえ、きょうてえ』の方が良い。ちなみに『ぼっけえ~』には京極夏彦の解説も付いてくる。

少し、得した気分。

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