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帰省のないGWで自身のエネルギー低下に気付かされる

午後からちょっと曇ってきました。でも気温は結構高かったので、これで晴れていたら帰り道がきつかったと推測、ホッと胸を撫で下ろしています。

さて、……。

明日からゴールデンウィークが始まる。昨年までは実家に帰って母を見舞いつつ家の中のものの整理や庭の草木対応を行ってきた。

しかし、既報の通り母は世を去り、実家は売却済である。故に帰省することがなくなった。このような何のオブリゲーションも負わないGWはすごく久しぶりであることに気付いた。

オブリゲーションというと大げさだし、絶対にやらねばならないことであったかと問われれば、そうではない。でも、何となくやることを期待されていたように感じていた。

例えば、母がお世話になっていた施設。もちろん入居費用はキチンと払っていたのだけど、だから行かないというわけにもいかなかった。

実際に面会に行くと、しばらくは母とのコミュニケーションも取れたし、その都度職員が「遠いところをありがとうございました」と言ってくれた。母が認知を患って意思疎通が困難になっても、行けば職員は状況説明をしてくれた。

また、庭が草ぼうぼうではやはり近隣にご迷惑であるし、庭木もある程度の剪定は必要。そういう状況を把握するためにも、やはり行ける時には行くべきだという方向で考えていた。

この考えは人間の持つ社会性から生じる欲求がベースにあるので、仕方がないものだろう。

この社会性に基づく帰省、実は結婚した時から始まっていたとも言える。それは娘が生まれてからオブリゲーションが更に増した。実家の両親から帰省してくることに期待を持たれていることについて「そんなの関係ねえ」と言い切れる人は少ないだろうし。

おそらくゴールデンウイークの3日分くらいを占めていた帰省が、ポコっと急になくなった状態である。その分何をしようか、何かしないと、と考えるけど、思い浮かばない。

いつもの休日通りチョコザップには通う。それ以外には切れ味が落ちてきた庖丁を研いだり、入居以降少しずつ溜まった書籍や家財の整理等をして過ごしていそうな気がする。

もう何か特別なことをしなければもったいないと思う年でもなくなった。欲がなくなったのは人としてのエネルギーが下がったからだとも思うのだけど、自分としてはこれで良いと考える。

一時的に気分を持ち上げても、続かないことを見越してしまう。これはちょっとマズいとも感じているのだけど。

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