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素人の体験談と低く見られても、それしかない分野はある

今日も冷え込んだ一日でした。昨日よりはマシだと言われましても、寒いものは寒い。ここが一番大事な部分なので、スルーされるとちょっと寂しいです。

さて、……。

私は約7年前に父を亡くした。当時、まだ大丈夫だと思っていたが、それは単なる思い込みに過ぎなかったことを思い知らされる。

亡父の死を知らされて以降、怒濤のごとく押し寄せる葬儀社との打ち合わせ、その後に待ち受ける各種手続きや浮世のあれこれに翻弄されつつも何とか独力で相続税申告までを実施した。

これは自分ではすごい経験だったと思ったので、これをベースに人から聞いた話も混ぜ込んで小説化した。

それが以下の2冊である。内容は、父の死〜四十九日の法要までとそれ以降の手続きに分かれているので、相続以降に興味がある人は「2」の方からでも十分だと考える。

その後、小説だとストーリーが邪魔になって読みづらいことを考え、母の施設入居に伴い体験記としてKindle出版した。それが以下の3冊。

これらの本に対して「素人の体験談に過ぎない」という批判を頂いたことがある。それは全くその通りなので、腹も立たない。これらの内容に普遍性があるかと問われると、そんなことはない。一つのエピソードだと思っている。

言い方を変えると、こうすれば絶対大丈夫な万能の解決策を示したものではないということ。それでも、私や話を伺った方が自分なりに分からないことを調べ、現状を何とか前に進めようともがいた軌跡に基づくかなりリアルな体験談であることは間違いない。

はじめの一歩を踏み出した人が困難に直面した。その解決のために取り組んだことや感じたことを書き残したものには、やはり意味があると思っている。

吉田兼好の書いた徒然草は、おそらくあなたも中高時代に学んだことがあると思う。その第52段の締めの言葉は「少しのことにも、先達はあらまほしき事なり」である。

知らないばかりに見当違いのことをやってしまう、やるべきことをやらずに済ませてしまうといったことは起こり得ること。でも、先達がいればそういう事態をかなり防ぐことができるという生活の知恵を述べたものだと受け止めている。

最初から全て自分で考えることを否定するつもりはない。でも先に体験者がいるならば、まずはその体験がどのようなものだったのかを聞いて損はない。そうすることにより、自らの労力を間違いなく下げることができるのだから。

なお「素人の」という部分は、少なくとも自分が書いたテーマにおいては批判として不適切だとの思いはある。というのは、親の通夜葬儀、法要や相続等について、葬儀関係者や税理士等受託者としてのプロはいても、当事者のプロはいない。

親の葬儀は普通2回、伴侶の側を含めても4回で、これで経験豊富とはなり得ない。プロっぽい遺族というのはおらず、従ってその目線で書かれたものはあまり多くないのだから。

noteの過去記事は無料のマガジンにまとめていて、それを読んで頂いても十分なのだけど、ストーリー性やテーマ性の観点からは、上記電子書籍の方がお役に立つと思っている。

お読み頂き、ありがとうございました。

読んで頂いただけでも十分嬉しいです。サポートまで頂けたなら、それを資料入手等に充て、更に精進致します。今後ともよろしくお願い申し上げます。