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デジタル化が進まないのは不慣れと習熟機会の欠如だと思う

よく晴れた元旦の朝。でも、わが家は住宅密集地にあるため初日の出を拝むことはできませんでした。ただ、静かで良い新年を迎えられて良かったと思います。

さて、……。

新年早々にふさわしいのかは若干疑問もあるものの、年末に読んだ以下の新聞記事に係わりいろいろと思うことがあった。それを書いてみたい。

デジタル化を進める必要性に着目し、その為に奔走している地方の努力は尊いと思う。でも、その必要性を地元住民から理解されておらず、思うように進んでいない状況。ぶっちゃけ挫折し掛かっているように私は受け止めた。

私は母の介護を通じて、世の中の動向にはできる限りついていかねばならないとの思いを強く持っている。途中でついていくのを諦めると、その後の人生でQOL(生活の質)が少なからず下がってしまうからだ。

例えば今の生活において、スマホなしだと結構キツくなっている。通勤でモバイルSuicaを使い、出張の際はえきねっとを使う。実家への帰省ではエクスプレス予約を利用。一般の銀行もゆうちょ銀行もアプリで大抵の操作は済ませている。

加えて、○○ペイはスマホがないとほぼ使えない。世の中はスマホというデバイスの広まりと共に、新しいステージに移行したと考えて間違いはないだろう。大げさかも知れないが、パラダイムシフトが起こったと感じている。

既に世を去った私の父母は、いずれもデジモノに積極的に関わろうとはしなかった。6年前に世を去った父にパソコンをプレゼントしたけれど結局使おうとしなかった(帰省時に私が使うのには役だったけれど)。

母は父よりはマシで携帯電話を持つようにはなったのだけど、メールを送っても読んでくれなかった。何度も教えたのだけど、「そんなの面倒!」だったらしくついに身につかなかった。

実は、妻の父はほぼ同世代なのだけど、パソコンを使いこなしていた。やはり興味や好奇心において個人差が出ることを感じる。

携帯も通話がやっとの母は、スマホに換えることを拒否した。こうなるとネットスーパーの利用もできない。店までは車で行かねばならない環境では生活がしにくくなっていた。

だから、どんなものでも興味を持ってまずはやってみる。このスタンスで生きていかないと、間違いなく生きにくくなってしまうと自戒している。

一方で、強く必要性を感じないまま老いてしまった人の場合、改めて練習して身につけることは確かに億劫だし、身につけたこともすぐに忘れてしまう。興味を持って使っていれば自然と身につくと我々は考えがちだが、これは使えている側のごう慢さかも知れない。

というのは、何とかまだついていけている自分として感じるのは、よく言われる「直感的に操作できる」という感覚が、デジタルネイティブではない世代にとって意味不明であり、キチンと教わらない限り習得できないということ。

加齢により教わっても定着しにくいことまで話を広げると何にも進まないのでそれは言わない。でも直感的な操作は、ある程度試行錯誤の場数を踏んで初めて体得できる「可能性が生じる」もの。決してできて当たり前ではない。

その昔、会社は新システムの導入において全国の事業所で講習会を開催した。費用も時間も掛かるのだけど、それによってシステムやプラットフォームを使えるようになった人は多い。

今は「直感的な操作」ができることが前提になっているし、操作マニュアルも「イントラにアップされているからそれを読むべし」が普通になっている。でも、それはできない人をできないままにする諸刃の剣だと考えている。

デジモノを本当に広く使ってもらいたいなら、最初の取っ掛かりで諦める人を放置してはならない。この点、強く申し上げる。

お読み頂き、ありがとうございました。本年もよろしくお願い申し上げます。

読んで頂いただけでも十分嬉しいです。サポートまで頂けたなら、それを資料入手等に充て、更に精進致します。今後ともよろしくお願い申し上げます。