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勇気のもらいっぱなしは何となく美しくない

花曇りの空模様となった春分の日、あなたはどう過ごされましたか。充実した一日となるようお祈りするとともに、明日からの3連勤に気力横溢となることを願っています。

さて、……

今日はWBCの準決勝が行われ、日本がメキシコに逆転勝ち。これで日本は決勝に進み、アメリカと戦うこととなった。

ビハインド気味の展開をよく耐え、見事にひっくり返したサムライジャパンの健闘を寿ぎたい。といっても、やはり私はダイジェストで見ただけであるのだけど。

午前中、テレビにかじりついていた人も多かったようで、午後に買い物に行く人が集中した結果、スーパーは激混みだったとも聞く。

準決勝の劇的な勝利について、相変わらず「勇気をもらった」「感動をありがとう」といったコメントが多く寄せられているが、私はどうしてもなじめない。

自分でも何が受け入れ難くさせているのだろうかと考えた。その結果は「もらいっぱなし」の姿勢にあることに思い至った。

あなたは、誰かから何かをもらってうれしいと感じた時、もらいっぱなしにしているだろうか。少なくとも私は、これは何かでお返ししないとな、と考えてしまう。

しかしながら、スポーツ観戦に寄せられるコメントやtweetで、こういう視点に立ったものって少ないと思う。

「いや、選手たちに返せるものなんてないだろう?」というご意見もあるだろう。確かに、自分よりもずば抜けた運動能力を持ち、たくさんの収入を得ている人達に私たち一般人が何かを返すのは難しい。それは認める。

しかし、それならば別の道筋を考えるべきだと感じる。勇気をもらったならそのもらった勇気で社会に何らかの貢献をする、感動した気持ちを他の人に分け与える等、我々が置かれた場所でできることはあるはず。

つまり、恩返しができないなら恩送りをする発想が大事だということ。ただもらうだけで自らの覚悟・決意のないコメント・tweetに違和感を持ち、何か変だという気持ちを抱いたのが、私がなじめない理由である。

圧倒的なパフォーマンスなど必要ない。時に立ち止まったり、不安に陥ったりしても良い。でも、再び気を取り直して何かに打ち込む、社会に役立つことをする。たったそれだけのことであっても、多くの人がそうなれば世の中が明るくなる。

誰も見ていないようでも、やはり誰かが見ていて「あの人、いつもがんばっているね」と言われているかもしれない。そしてその姿に胸を熱くしている可能性もある。それが連鎖していくと、もっとみんなが生きやすい社会ができあがっていく。

妄想・理想論かもしれないのは承知。それなら「勇気をもらった」等とは言わず、「勝利、おめでとうございます」のひとことで良いのではなかろうか。

明日の決勝戦、サムライジャパンが持てる力を存分に発揮することを祈るのみである。

お読み頂き、ありがとうございました。

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