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「中卒?」という揶揄をつきつめてみる

今日は時間により少し日が差すこともありましたが、総じて曇りがち。夕方には雨も降るなど明日からの出勤を考えた時の私の心象風景のようでした😁

さて、……。

よくネット議論でコメントの応酬がなされる内に「あなたは全然分かっていない。中卒?」といった「上からコメント」をぶつける人が現れるのを見ることがある。

自分が言われた訳ではないものの正直不快に感じる。何故なのかをもう少し掘り下げてみたい。

中卒の場合、残念ながら就職において何らかの制約を受けることはある。そのため「高校くらいは出ておくべき」という世間の圧が存在するのも事実。

そういう中で、あえて高校に進まない選択をするとなると、かなりの家庭の事情があったか、それとも自身で絶対にやりたいことがあったかのいずれかであろう。ちなみに将棋の藤井聡太8冠は中卒ではないが高校中退である。

家庭の事情であれば、それは本人のせいではない。また、絶対にやりたいことがあったのであれば「取りあえず高校くらいは出ておくか」という進学と比べ、少なくとも私は劣後するとは思えない。

次に、大多数の進路として高校に進んだ私たちは、高校で学んだことを今の実生活でどれくらい生かしているだろうか。たまに「測量で三角関数の知識が必要」と言い出す人がいる。それは正しいけどその進路に進む人はごく少数であろう。

化学式もほとんど覚えていない。大河ドラマの「光る君へ」で注目される源氏物語でドラマのモチーフとなったくだりを古文で紹介するサイトを読んでもちんぷんかんぷん。さりながら、特段日常生活に支障は出ていない。

また大学以上では、そもそも専門分野に分かれて学ぶことになるため、別の学部の知識はない。土建とまとめられることが結構あるけど、土木と建築でも学ぶことは違う。

こう考えると、多くの人が等しく共有する学業的知識は、踏ん張っても高校の一部課程まで。というのは、高校ですら工業高校・商業高校で学びの対象が異なってしまうからだ。

このように考えてくると、中学校までの知識があれば日常生活での必要性はほぼ満たすと考えるべき。議論においても、それをベースとすべきだと考える。

ただ、ものごとを深く掘り下げて考える、一つの答えを出すのにも複数のアプローチがあり得る、多種多様な意見があるといった「視野を広げる経験」は、中学校まででは得がたいのも確か。こればかりは経験の有無がものを言う。

視野の狭さにより議論の背後にある本質は何か、何が問題解決の邪魔になっているのかという視点を持ちにくくなる。しかし、学歴によって本当に議論が成り立たなくなる例は、少なくともネット議論ではあり得ないと思っている。

大抵は相手の意見を真摯に受け止める姿勢と意欲の不足が原因だろう。上から見下すように「中卒?」と言う時点で、世の中にさまざまな環境で育った人間がいることへの思慮の不足と、視野の狭さを感じてしまう。

異なる意見を受け入れる気がないなら、敢えて議論の喚起などしなければよい。議論の本質ではない学歴を持ち出す時点で、論者としての資格を失うように考えるが、いかがだろうか。

お読み頂き、ありがとうございました。

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