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【アルビノの魚】プロローグ

社会的関心を持てず、政治的活動力が乏しいせいで外的世界から一線を画した場所でひっそりと暮らしている人種は少なからずいる。一般的に「世渡りが上手い」人々がこれらの人々を辺境に追い込んでいると思われているが、実態はそうではない。自発的に社会からの逸脱を選んだ人々は、こう言って語弊がなければ盲目で「恵まれた」人々のまだ見ぬ(というよりも決して理解のできない)世界への胎動を、その繊細で嫋やかな身体によって既に感じ取っているからだ。

 しかしその繊細さゆえに、情緒は時として鈍重な音を放ち、ただの誰にも気付かれることもなくひっそりと横たわってしまうこともある。孤独で沈黙を強いられていたハープを無造作にかき鳴らしてしまった瞬間、プツンと切れた弦がただ悲痛な音を立てて静かに撓んでいるように。

 もし私が彼女のことを記録する目的でこの文章を書いているのだとしたら、それは3年前から常に日記のように書き溜めていたことだろう。そうしてこなかったのは私の中の怠慢であり、彼女との日常が永遠であり、それが終わらないことを確信していたからかもしれない。「失ってから初めて気付く」などというJ-POPのお決まりのテーマを掲げるつもりはないが、今になって私を机に向かわせ筆を執らせようとするのは、ある種の「免罪符」のようなものを求めようとしているからであろうか。今の私にとって、彼女を記憶し、それを記録として残すことが一つの責務のように感じてならないのである。

 無論、彼女との出会いから3年が経ち、今この瞬間を以て彼女の記録を取ることは、必ずしも彼女と私の間に起きた一連の出来事の詳細である保証はどこにもない。それは私の知らない遠い誰かの記憶かもしれないし、液晶画面の向こうで行われていた情操劇の一幕かもしれない。だが、記憶とは往々にしてそういうものであり、大なり小なり人によって、またそれを記録しようと思った時期によってバイアスがかかり、事実とは異なってしまう可能性を孕んでいる。代々言い伝えられてきた口承伝承というものが、時代を経て、多くの人々を介する毎にその詳細が失われ異なった結論となり、時にはその本質が失われてしまうことがあるように。

 しかし、私が今から記録する彼女について、それは理想的年代表記のようにその詳細を事細かに記録することが目的ではなく、時には彼女の貴重な本質を失わないために脚色を施すことも辞さない考えであることを先に断っておきたい。私が記そうと試みる彼女は、確かに私の中だけで泳ぎ続けている。だけれども、文筆家の矜持を持って彼女が少しでも彼女自身であることを失わないように、自身の杓子定規を宛てがわないように注意しながら物語を進めようと思う。彼女がかつて私に残した「水」の在り処を示す思考の地図を頼りに、どこの岸辺にもたどり着かない言葉たちの戯れが一つの甕に収められることを私は願っているのだ。

これは私が三年前に出会った、ある【魚】の話である。


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