融骨病

その病は命の期限付きで、私の命はもうそんなに長くないことは分かっていた。
子供のころ住んでいた田舎の家の最上階から、現実味のないくらい淡く清々しい田畑の青と、遠くの山の影が見えた。その一室だけが現実から切り離されているようにさえ思った。明るい最上階はその明るさの割に涼しく、太陽がほとんど害のない物のように思えた。
昨晩は最後の外出として商店街に行った。林の中に素朴な木造の建物がいくつも建っていて、その一つ一つが飲食店や雑貨店になっている。林の中は、商店街エリアだけ木から照明がぶら下げられていて、場所によってそれは簡素な裸電球だったり、青とか紫とか、エメラルドグリーンの飾り照明だったり様々だ。私の好きなカフェの照明は青系の色で統一されたランタンで、木々の下に浮かぶようにぶら下がっており、その下にテーブル席の並ぶスペースがあった。林の中なのに、なんとなく海底にいるような気分になるのが好きだった。私はストローから濃い目のジンジャーエールを吸い上げる。時折、道を行き交う人の中に同じ中学の見知った顔を見つけそれを少し目で追った。
別に、何か起こったというわけではない。ただ最後の外出を、自分の好きなカフェでゆっくり楽しんだだけだった。その時のことをただ何となく思い出している。
今自分が横たわっている部屋はまるで水彩画のように淡い。私の好きな夜の林にある海底のカフェと正反対だと思った。
次第に私は布団から起き上がることもできなくなった。
部屋には、私以外にはいつも母がいることだけはわかる。それが現実なのか私の意識の中なのかもうほとんど区別がつかない。小さい頃熱が出て母がそばにいてくれた時の記憶がただよみがえっているだけなのかもしれないと思うような、記憶の奥底の淡く色あせた思い出のような母の姿が見える。
時間が前後するように意識が浮ついている。まだ体を起こすことができた時は、窓からあの淡い景色を見渡して、知った顔がないか探した。ふと、視界の隅に人影があった。中学でいつも一緒にいた友達。私は最上階からその子の名前を呼んだ。精一杯叫んだつもりだったが、思うように声が出ない。私の声の小さな振動は空気にかき消される。私がここにいて、そしていなくなることを、誰にも気づいてもらえないような気持ちになって泣いた。
私の体は少しづつ重くなっていくように思えた。重力に少しも抗えず布団に張り付いているかのように感じる。投げ出した腕の青白い皮膚に透けて見える静脈へ点滴の針が刺さっている感覚はいつまでたっても慣れることができなかった。

そんなある日私の意識は浮遊して自分から離れた気がした。それは突然起こった。それが神様の定めたタイミングだというならそうかもしれない。私は自分の体の穴という穴から白い液体が流れ出して、自分の横たわる布団から溢れ、畳の部屋に広がっていく様をどこからか見た。私を形作る骨という骨が体から溶け出していく様を。それが私の最後だったのだろう。私はその様をただ茫然と俯瞰して見ていた。

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絵の勉強をしたり、文章の感性を広げるため本を読んだり、記事を書く時のカフェ代などに使わせていただきます。