【書評】あらゆる場所に花束が……:中原昌也

堕ちることへの願望。

倫理観を踏み躙ることへの憧れ。

中島哲也監督作、『渇き。』を観た際、自分の中にあるこのような欲求に気付かされる感覚があったことを覚えている。

おそらく、自分自身は飛び越えないであろう壁を越えていく登場人物たち。

その破壊性。

破滅性。

暴力性。

もちろん自分がそのような状態にならない保証はどこにもないことは分かっているが、

それでも多くの人は自身の中に眠っているそのような衝動を、

こういった作品を体験することで消化しているのだと思う。

またこういった作品にアクセスすることで、自分の中にある願望に気づくということ自体も、意味があることだと感じている。

中原昌也の小説『あらゆる場所に花束が……』もそのようなカテゴリに属する作品であると思う。

ストーリーテリングに比重をおかず、

あくまで描写を重要視する。

場面場面で、書きたい。表現したい。という衝動に従い、存在すると思われている規範を越えていくキャタクター。それを描くこと。

理解できなさ。理不尽さ。

だからこそもっとみたいと思わせる巧みさ。

中原昌也自身が社会生活を送るために必要な倫理観を兼ね備えているからこそ、

それを踏み躙る描写を主題に置いた作品を描こうとしたのだと感じるし、

その願望に意識的だからこそ、

書くことで消化を試みたのだと私自身は感じた。

規範を超えるためには理性と知性が必要である。規範が何かを理解する必要があるから。

そのようなフレームを頭の隅におきながら、本書を読んだ。

自分自身の中にある願望と、やはり向き合いながら。

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