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フルスイング物語~ここまでの人生~

こんにちは。健康ラボのおいかわです。

今日は、私の人生を振り返ります。

このnoteを読んだあなたが、さらに前に進める活力になれば幸いです。


○生誕

 北海道札幌市で生まれる。幼少期のころは、とにかく動き回る【活発】な子供だった。


○プロ野球のJr.チームで4番を任された小学生時代

 小学校2年生の時に野球を始めた。プロ野球選手になる。そのために、目標シートを作成し、常に数字を意識して野球をしていた。他の小学生と比べて身長が高く、目立っていた。小4の頃から毎日プロテインを飲んでいた。また、バッティングが好きで、長所であることを自覚していた。そして、1日平均500回【フルスイング】し続けた。その頃、人生で初めて手にマメができる。また、プロ野球チームが主催しているキャンプに参加し、チームの関係者との交流を深めた。結果、小学6年生の時にプロ野球のJr.チームに選ばれ、4番を任された。小学校時代の経験から、目標を立てて、全力で行動すれば何でも達成できることを知った。同時に、目標という存在の大切さを実感した。また、長所を自覚して、磨きをかけることの【楽しさ】を知った。


○腰の疲労骨折とイップスで転落した中学生時代

 小学生時代の活躍もあり、鳴り物入りで、全国準優勝の経験がある、道内屈指のクラブチームに所属した。しかし、入団当初で、腰の疲労骨折とイップスを発症した。入団してから、3か月ほど練習できなかった。腰が回復しても、イップスで塁間すら投げられない、バッティングもボールに当たらない。「チームに迷惑をかけ、僕はさらし者だ」恥ずかしさや劣等感で、どんどんネガティブになり、野球をするのが嫌になった。土日の練習だったが、水曜日あたりから憂鬱になっていた。しかし、周りの支えがあり、やらなければならないという想いが強く、3年間、練習にくらいつく。結果、中学3年生の夏で全国大会に出場し神宮球場でヒットを打った。チームも、全国ベスト8という実績を作った。しかし、その時には、プロ野球選手になるかではなく、今後、野球を続けるかどうかで迷っていた。


○悔しさでつかんだ甲子園ベンチ入り

 入学前、高校野球をするか迷っていた。野球はもういいや。さらし者になる、どうせプロは無理。そんな想いがあった。そんな中、「君が必要だ。さらに、強みに磨きをかけてくれ」と、強豪私立高校の監督からオファーを頂いた。これはやるしかない。心に火が付いた。必要とされる喜びと、強みに目を向けてくれてくれた監督、チームに惹かれ入部を決意。そして、甲子園に行くというゴールを設定した。しかし、7時間授業と、ほぼ毎日の部活動。部活と勉強の両立が難しく、あまりにも現状とゴールのギャップが大きかった。特に、勉強に苦しんだ高校生活だった。クラスで一人、ふさぎ込んでしまう時間もあった。ただ、救いとなったのが野球だった。強みに目を向けて、常に前向きなチームの雰囲気のおかげで、【ポジティブ】になり、徐々にイップスも回復し、楽しい野球が戻ってきた。さらに、野球に関しての強みと弱みを【自己受容】することで精神的にも成長した。しかし、2年の秋に転機が訪れる。秋の北海道大会でチームが優勝。秋の神宮大会、春の選抜が当確。しかし、優勝した瞬間、頭をガツンと何かで打たれた感覚がした。なぜなら、優勝のマウンド輪に自身がいなかったからだ。もちろん、チームとして甲子園出場は嬉しいことだったが、個人としては悔しさが残った。優勝の日の夜、リビングで決勝の録画を見た時、心に火が付いた。このままではいけない。仲間の活躍によって危機感がめばえた。それからは、とにかく【がむしゃら】だった。雪の中、無心でバットを振り続けた。結果、神宮大会、甲子園のメンバーに入ることができた。この経験から、悔しさのエネルギー、そして成果に貪欲な仲間の存在の大切さを感じた。


○大学での主将経験

 大学では、部員40名ほどの軟式野球部に入部。週3回の部活だった。ここなら、野球データの分析バイトなど、やりたいことに時間を割ける。さらに、野球もプレーしたいという理由で決めた。部活では、大学2年でレギュラーをつかみ、大学3年時、チームメイトから主将に任命された。正直、主将でやっていけるか不安だった。前の代に、1部のリーグ戦で優勝し、連覇の期待が高まっていた。プレッシャーがあった。そして、嫌な予感は、現実となった。主将を務めて、初めてのリーグ戦で最下位に沈み、2部に降格した。これはやってしまったと思った。力のあるチームであることは自負していた。しかし、仲間の能力を100%発揮できなかった。結果だけにこだわり、野球を楽しむことを忘れていた。練習でも、ただメニューをこなすだけで、声掛けがほぼゼロ。打開するには、自分が変わるしかないと感じた。どう変わるか。それは、【型にはまらない】ことだった。こうあるべきという考え方を疑ってみる。あえて、違うやり方をしてみる。この姿勢が、創造性豊かにし、全員がポテンシャルをフルに発揮できると感じた。また、大会に積極的に参加したり、自主練習の時間を増やして、自由に会話できる環境を作った。すると、コミュニケーション量が増え、楽しむ姿勢が生まれ、チームに活気が出てきた。徐々に、選手のパフォーマンスが上がり、秋リーグを2位で通過し、入れ替え戦に進むことができた。そして、勝てば1部昇格の試合で、0‐0で迎えた7回裏に、僕は決勝点のホームを踏んだ。1‐0で勝利し、1部昇格という結果で後輩にバトンを渡すことができた。その時は、嬉しさよりもホッとした気持ちの方が強かった。一緒にやってきた仲間や応援してくれたOBの方には感謝しかなかった。この経験で、信頼関係を築くには【コミュニケーション】や、【型にはまらない】行動や柔軟な考え方が大切だと感じた。さらに、結果にこだわるよりもプロセスに心を燃やすことの重要性を身にしみて痛感した。

○コーチングとの出会い

 僕がコーチングと出会ったのは、就活活動の時だ。大学3年の1月から就職活動がスタート。最初、自己分析をしている中で、自分の強み、価値観、やりたいことが分からず、モヤモヤしていた。そもそも、就職という選択で良いか悩んだ時期もあった。また、人生が野球一色だったため、野球と離れるのが辛かった。そんな中、コーチングと出会う。コーチングは、当初、何かを教えを受けるものだと思っていた。しかし、コーチングは、問いに対して、思っていることを答えていく、シンプルなものだった。答えはクライアントにあるという前提で進んでいった。セッションを重ねるうちに、今まで大切にしていた価値観、強み、やりたいことが明確になってきた。自身が今まで気づいていない部分まで、発見することもできた。コーチングを終えた瞬間、行動が変わった。まずは、筋トレの習慣化だ。こういう姿になりたいとコーチングを通じて言語化できたことで、筋トレのモチベーションが上がった。また、就職活動への熱も増した。コーチングを通じて、内定の先に何があるのか、どうなりたいのかが明確になり、就職活動に対して、取り組む姿勢が変わった。結果的に、筋トレと就活を同時に行い、大手IT企業3社から内定を頂いた。この経験から、コーチングの凄さ、コミュニケーションの可能性を感じた。

○現在地と未来

 今年の4月から、IT企業の会社員として働いている。働く中で、新たな発見や課題が生まれる。そんな日々は新鮮で充実している。会社員としても、できることを増やしていきたい。プライベートでも、筋トレ、散歩、サウナ、ブログは継続している。今後は、一人でも多くの方が【ポジティブに人生をフルスイングできる】状態になることに貢献する組織を作ること。が今の目標だ。そのために、できること、やりたいことに対して1日1日全力で取り組む。


○おわりに

ここまで、お読みいただきありがとうございました。25年間を振り返って、色々な出来事が蘇ります。それぞれの出来事に共通していることは、常に【フルスイング】をしたということです。その裏には、「人生を後悔したくない」という想いがあるのだと思います。全力でやらないより全力でやる。
これからも僕は何事にも全力で取り組めるよう、フルスイングを哲学し続けます。あなたも、必ず全てを出し切れます。全力で取り組むからこそ、挑戦してみたいことや、新しい発見、景色が見えてくると思っています。
後悔なく、明るくポジティブな人生にするために、今からフルスイング!


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