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ありふれた日常と「自由」|東京演劇道場『わが町』

 混乱の世の中。ある場所では戦争があり、ある場所では疫病が流行り、ある場所では、、、。激動の時代を生きる私たちにとって、日常とは何か。そんな深い問題を突き付けられた舞台だった。

 1月25日、東京芸術劇場・シアターイーストにてソーントン・ワイルダーによる『わが町(原題:Our Town)』が幕を開けた。同劇場が主催し、野田秀樹を中心とした芝居創作を行う東京演劇道場のメンバーが挑むこの舞台。演出は柴幸男(ままごと)が務める。

 3幕からなるこの舞台。原作では「舞台監督」と呼ばれるストーリーテラーや複数の登場人物が登場するが、今回の公演では23名のキャストが物語を紡いでいく。言わば、会衆が演じる即興劇的な要素が盛り込まれている。1つの役に1人の俳優がいるのではなく、1つの役を複数のキャストが役の隔たりを超えて生きている姿は、より人間的な心情の複雑さとドラマを引き立てる。

 原作の舞台は、1901年のグローヴァーズ・コーナーズ(アメリカ)。ストーリーテラーによって、「わが町」の説明がなされる。次第に、2人の若い男女・エミリージョージの物語へ。頭脳明晰なエミリー、そして農夫を目指すジョージ。2人の想い。たがいに交わっていく心。
 舞台は3年後に時を移し、2人の結婚式の朝。緊張するジョージは両親のギブス夫婦、義父・ウェブ氏の会話を交わす。すると、学校に通うエミリーとジョージへと舞台は遡る。そこにはお互いの気持ちに気付く2人の姿が。そして、再び結婚式へ舞台は戻る。
 さらに時は進み、9年後の1913年。舞台はグローヴァーズ・コーナーズの墓地へ。ストーリーテラーが由ありげに墓地の説明をすると、新しいお墓が用意される。2人目のお産を目前に命を落としたエミリーのお墓だ。死者となったエミリー。そこには先祖がたくさん。過去に戻りたいと懇願するエミリーとそれを拒絶する先祖たち。エミリーは、やっと「あること」に気が付く。人生とは何か、ということに。

 今回の公演でもっとも評価すべき点は美術だろう。会場となった東京芸術劇場・シアターイーストはスタジオ形式の劇場。コの字型に配置された客席。舞台面中央には長方形の平台があり、上手下手の舞台袖には脚立が置かれている。実にシンプルだが、次第にこの平台は分解されてゆき、舞台にミニチュアサイズのグローヴァーズ・コーナーズの街が再現される。そして、2幕には私たちにもおなじみの街。須澤里佳子(金井大道具)による美術だが、原案は演出・柴をはじめ東京演劇道場のメンバーによる発案が主軸となっているそうだ。稽古場で生まれた「東京で結婚式をやる」という発想を見事に再現した美術は、一種の爽快感に近いものを感じるほどの素晴らしいデザインである。
 そして、人形(パペット)が用いられる。舞台を観ていない人には、東京ディズニーランドの「イッツアスモールワールド」に登場する人形、といったら説明が早いだろうか。抽象的なデザインでありながら、観ているうちにどんどん愛着が湧く、この不思議なパペットには釘付けになった。しかし、パペットを扱うというのはとても難しい部分もあり、パペティア(パペットを操作する俳優)はパペットを通して相手や観客に訴えかけなければいけない。そういった意味では俳優として話しかけてくる俳優もいたが、鄭亜美によるパペットの操作と語り口は群を抜いて卓越していた。
 もう1点。2幕のジョージとエミリーがお互いの気持ちを打ち明け、ともに歩む決心をする回顧シーンは映像が用いられた。舞台面中央に白い布が張り出され、映像が投影される。その白い布は、3幕になると舞台を覆う。冷たく無機質な舞台は、墓地を見事に表現している。

 音楽も面白かった。先の映像のなかでは「Love so Sweet」(嵐)が用いられたり、結婚式のシーンでは「Butterfly」(木村カエラ)や「マツケンサンバⅡ」(松平健)などが流れたり。これも、私たちの日常を感じさせる算段なのだろうか。

 もっとも、今回の公演の評価の割れ目は2幕の扱いである。柴は2幕の舞台を「東京」に設定した。舞台面に配置された美術は東京の街並みを再現している。雷門やレインボーブリッジ、脚立を用いて東京スカイツリーや東京タワーまで。私たち日本人にとって馴染み深い、私たちにとっての「わが町」がテーマになっている。これを原作と照らし合わせて批評する人もいれば、新しい解釈に好評を寄せる人もいるだろう。

 私は後者である。実際に上演されている『わが町』をはじめて観た人間の感想になるが、この作品のテーマに順応した解釈と言えるだろう。なぜ2023年の東京である必要があるのか。なぜ1904年のグローヴァーズ・コーナーズではいけないのか。
 一言で表せば、「いまの日常」を想起させてくれるからである。この作品が示すのは、生きている間には自由はなく、人生を終えた時にはじめて自由を知ることができる、ということではないか。だとすれば、このテキストが、ワイルダーが、伝えたかったのは「いまの自分を認識すること」だろう。そこに2023年の東京が出現することは、いまを生きるありのままの自分を投影させる役割を持っている。

 冒頭に「日常とは何か」と記した。
 「Our Town」。いまも当たり前のように時が流れ、人が動いている。その中で、いかにして自分の生を見出すか。いまワイルダーは私たちに問うている。

公式サイトは以下の通り。上演は2月8日(水)まで。

また、以下のサイト(記事)を参照した。

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