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宇賀地強という人への感謝

陸上オタクの自分にとっても宇賀地強さんは特別な人だ。それは自分が陸上オタクになるきっかけの人だから。
小学校2年生の時、当時そんな興味のなかった箱根駅伝を祖父の家でみていた。1区で覚えてることなんて、前回王者の順大が足を引きずりながら落ちていくくらいで誰が区間賞を取ったかもどういう展開だったかも覚えてない。ただ、次の2区、1人のランナーをみて一気に変わった。当時駒澤大学2年、宇賀地強選手だ。今思えば好走とは言い難い内容ではあった。それでも大きくない体を目一杯つかいながら化け物みたいなデカくて速い人達についていく姿は、当時からチビであまり足が速くなかった自分の心を大きく揺さぶった。憧れ、尊敬し、一気に駅伝、長距離の魅力に心が動いた。常に1番に尊敬していたし、憧れて、真似して、小4から毎日走った。
結果的に足はそれほど速くならなかった。小6の時クラブチームに入り、出場した大会「ジュニア陸上チャレンジカップ」男子小6、800mの部1組目。結果は断トツの最下位。指さされ、笑われ、ラスト100mの哀れみのこもった「頑張れ〜」が聞こえる光景は8年経った今でも思い出す。その日、「陸上選手」を引退した。その人のように強くなかった、誰かに走りで何かを与えられるようなランナーではなかった、憧れ、尊敬され、応援したくなるようなランナーにはなれなかった。絶望し、目の前が真っ暗になったこともある。それでもやっぱり走ること、陸上が大好きだった。
今年のニューイヤー駅伝。最初で最後の現地での応援。ラスト1キロ付近にいた。スケッチブックに「宇賀地強さん ありがとう」と書いて、必死に感謝の気持ちと応援の言葉を送った。写真はしょぼいデジカメで必死に撮ったコニカミノルタユニフォームの後ろ姿。
確かに宇賀地強さんのような人間にはなれなかった。けど、宇賀地強さんがいたから今の自分がいると思う。宇賀地強さんがいなければボロボロの人生だったかもしれない。だから、直接感謝の言葉を伝えたかった。多分、自分の声は入賞争いで必死だった宇賀地強さんに届いてなかったと思う。これから先、届く機会はなかなかないと思う。でもやっぱり残しておきたい。
宇賀地強さん、ありがとうございました。

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