右脳の文と、多様性

人が生み出した言葉が織りなす文には2種類あるのかな・・・

見えるものの描写と見えないものの描写

見えるものは、理論とか・・・見えないものは、感じたこととか・・・

僕は心の描写が苦手。 文章は左脳ばかりになってしまった、それはそういう仕事を主にしてきたからだと思う。

もともと、心も、心を理解する力も弱い。 若干発達障害なんだと自分では理解している。

心の動きをうまく描写できる人は、小説家になれる気がする。

そんなことを思いながら、今日感じた別のことを書いてみよう。

●多様性

家の近所に畑を借りていて、野菜を作っています。 昨年夏過ぎから手を付けられなくなっていたんだけど、ようやく、じゃがいもを作ろうと耕し始めた。

お借りしている場所は根で増える雑草がたくさん生えているので、一度の除根をすることにした。 スギナとか、根で増える草は、根を取らないとどんどん生えてきてしまいます。

シャベルを刺し、起こして返して根を取り除く。 何も考えず、ひたすら続ける。

たまたま地面に赤いものが見え、よく見るとてんとう虫。草の中でもぞもぞ動いている。

あ・・・

僕が今やっていることは、彼らの暮らしの場を奪っているのか・・・

てんとう虫はアブラムシを食べてくれるので、農薬を使わない僕にはありがたい存在なんだけど、今自分がやっていることは、彼らを追いやっていることなんだ・・・

生態系はバランスが大切なんだけど、今の世界は(いや、昔からかも知れない)経済最優先で、効率化、単一化、もうかればいいよね、みたいな雰囲気がある気がする。 でも利益にならないと思ったことも、実は利益のために大切だったりするよね。 利益優先で単色化して、何か問題が発生すると大事件になるとか、過保護しすぎると病気(外部の変化とか)に弱くなることがあるとか・・・。

人間が判っていることには限りがあるのに、判らないこと、見えないことは無い事になるが科学なんだけど、後で気づいて大切だったとか・・・そういうのは新たな発見と喜ぶだけで済めばいいんだけど、冬の曇り空みたいな気持ちになる・・・(イギリスの空と書こうとして見たことないからやめました)

少しずつでもいいから、目覚めてほしい、僕の右脳くん。

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